寄り道
四季折々の風情(ふぜい)を
楽しめるのは
本当に贅沢ですネ
その中で
自分は
5月初旬から6月初旬に
かけての
初夏
が大好きです
(*’ω’*)
新緑が広がり
空はスカイブルー
海もマリンブルー
地上に届く陽光も
どことなく
優しげ
その情景を想像しただけで
いま・ここ
に感謝できます
( ^ω^ )
ヴィクトル・
ユゴー
「レ・ミゼラブル」
誰でも知ってますネ
注)フランス革命後の社会不安と
貧困に苦しむ庶民を描き
主人公ジャン・バルジャンの
生涯を通じて
人間の尊厳と愛
貧困層の救済可能性を探求する
社会小説です
映画化やミュージカル公演
されて以降
何度も
リバイバルされてきました
(^-^)
ユゴーはこの原作者
( ^ω^ )
きっかけ
「あるある」ですけど
学生時代
小説「レ・ミゼラブル」を読んで
ユゴーへの関心を強め
自分なりに
調べてみました
調べるうちに
掘り当てたのがユゴーの詠んだ
次のフレーズ!
(^_-)
お宝フレーズ
大海(たいかい)よりも
広いモノって?
それはさぁ
大空(おおぞら)だよ
大空よりも
広いモノって?
それはネぇ
ヒトの胸の内奥(ないおう)
にあるのさ
優しい気持ち
日常に
振り回されてると
気持ちに
余裕がなくなり
ついつい
ヒトを疑ってみたり
物事をネガティブに
とらえがち
そういうとき
ユゴーのフレーズを思い出すと
優しい気持ち
になれるのです
(*’ω’*)
そして
ジャン・ヴァルジャンが
激動の人生の中でも
常にヒトへの
深い慈(いつく)しみを
忘れない
その生き方を想起し
気持ちを奮い立たせて
きました
(-_-)
その一例を
振り返ってみると
大学卒業後
借金返済のため
日中・夜間を問わず
いろいろ
掛け持ちで
バイトに明け暮れていた
時期(9か月間程度)があり
日中のバイトの折に
合間をみて
青く澄み渡った大空を
よーく見上げてました
こうした場面では
決まって
ユゴーのフレーズが浮かんで
きたのです
(^・^)
たーーだ
例えば
「汗でにじんだ手を握りしめながら」
みたいな悲壮感はなかった
気がします
(*´ω`*)
余韻
さてさて
4年くらい前から
油絵を始めたわけですけど
そのきっかけは
深夜の就寝中
ウトウトしながら
急に
ユゴーのフレーズを
自分なりに
ビジュアル化してみたい
フレーズから自分が
抱いた
スカイブルーとマリンブルーが
調和する
心象風景を
描いてみたい
などと
どんどん
気持ちが高ぶってしまい
数日後
カンヴァス
イーゼル
油絵の具道具一式
をネット注文してました
(・.・;)
それまで
時間が許せば
美術館に足を運んでましたが
中学校時代の美術授業で
水彩画を描いた程度の
全くの
門外漢(もんがいかん)
普通に考えて
無謀すぎ!
(。-_-。)
でもでーも
今では
間違いなく
人生最高の選択の
一つになったー!
と受けとめており
本当に
ラッキー!
と思ってます
“(-“”-)”
エーッ!
デビュー作の出来栄えは
どうでしたかって
それは
もちろん
ノーコメント
でーす!
ハイ(;^ω^)
余談
好みの移ろい
現在(令和6年2月)のシニア世代
以降はもとより
その前の中年世代に差し掛かる
頃から
レ・ミゼラブルのような
社会派の小説ならまだしも
現実(事実)と結びつかない
小説(フィクション)は
興味関心が薄れてしまってます
例えば
「織田信長が生きていれば……」
のたぐいの
タラレバの歴史モノとか戦記モノには
全く食指(しょくし)が動きません
(*’ω’*)
その場限りの空想に終わりがち
なので(..)
食べ物もそうですけど
読み物であっても
加齢に従い
好みが変わるんですネ
(^・^)
追記1
タイパ
タイパって
タイムパフォーマンスの略語で
コスパが
費用対効果なのに対し
時間対効果の意味合いです
いま(令和6年5月現在)から
数年の間に
若者(Z世代)によって使われ出した
新語(‘ω’)
ところで
すこーし
気になるのは
あくまで
当人本位のメルクマール(基準)
として
用いられてる点(‘_’)
もちろん
その側面自体は問題ないものの
それにとどまらず
相手目線の側面も必要なのでは
と思ったりしてます
(。-_-。)
例えばですよ
即レスって
あるじゃないですか
速やかに
相手に対しレスポンス(返事)をする
との趣意ですけーど
相手に気を揉(も)ませたりして
結果的に
相手の時間を奪いかねません
だからといって
パソコンやスマホに注意を向けると
今度は
気が休まらないなど
弊害も軽視できなかったり……
この点に関連して
エックス上次のとおりつぶやいてます
実は
相手の時間を奪う
という切り口のみだと
不十分なんです
どういうコト?
ですよネ
ズバリ言っちゃうと
行動上の単価が違ったりするから
“(-“”-)”
同じようなヒト
仲間内でのやり取りなら
問題ないのですが
相手の地位・立場とか
当人との違いが歴然としてるときは
要注意(‘;’)
例えば
当人における
10分当たりの単価と比べ
相手のそれは
10倍以上だったりするかも
当人としては
相手のために
やってあげたのだから
当然それに見合うモノ・コトを
返報してくれるはず
もし同等の返報がないとしたら
それは相手のマナー・エチケット違反だ
と思いがちですけど
立場の違いの度合いによっては
バーターを期待するコト自体が
かえって
お門(かど)違い
だったりするかも
(´-ω-`)
今後はますます
フラット志向が強まるでしょうけど
まだまだ途上の
過渡期にすぎません(..)
ですから
処世術(スキル)として
理想と現実のギャップを踏まえる
コトも疎(おろそ)かにできない
と心得てまーす
(^-^)
最後にまとめると
タイパを行動規範とするなら
当人ばかりでなく
相手も加えた両面から
捉えるのが吉(^^)
追記2
フォロー雑感
プラットフォーム上を遊泳(ゆうえい)中
共感したり感銘を受ける記事
に遭遇した場合
その書き手のプロフィールをチェックし
他の記事にも触手(しょくしゅ)を伸ばす
などして
当人がフォローの候補に
躍(おど)り出ます
ではでは
そのまますんなり
フォローできるかといえば
そうでもないのです(..)
どうしてだと思います?
白状すると
フォローするのが
コワーい
みたいなんですよ
意味分かんなーい
だよネ
自意識過剰って
言われちゃいそうですけど
こちらとしては
気軽にフォローしたつもりでも
それまで自由にのびのび発信していた
書き手に対し
手カセをはめる結果に
なりはしないだろうか
ひそかにファンになって
そっと見守るだけで
十分じゃない
などと余計な雑念が生じる
ようなんです
最近
特にそう感じるみたい
(・_・;)
自分だけで完結できるモノコトなら
話は単純ですけど
他者が絡んでくると
ホントややこしくなります
(#^.^#)
人間模様だけは
人智(じんち)で
はかり尽くせないほど
複雑怪奇(かいき)
と自戒中(・_・)
フォロー済みの方々のときは
そんなところまで
いちいち
気を回してません
でしたけーど
今後は
この心理的ハードルが解消されないと
なかなか
フォロー数は増えていかない
予感がしてます
(´・_・`)
