
寄り道
蝶(チョウ)は
花の蜜(ミツ)をもらう
代わりに
受粉(じゅふん)の触媒になって
くれます
持ちつ持たれつ
人の間と書く「人間」社会でも
この関係性は必要ですネ
(^-^)
一般的な心得
一般には
相手の考え・意見に
敬意を払い
誤りを
指摘しないほうがよい
といわれたりします
相手の顔(メンツ)を
つぶさないという
配慮・思いやり
からです
人間関係を円滑に保つために
必要な心得(古今東西の知恵)
であるコトは
間違いありません
プライベートな場
気の置けない間柄であれば
言い方にそれほど配慮せず
特に抵抗もなく
その場で
指摘してあげるコトも
多いでしょう
そういう濃密な関係でなくても
一対一であれば
指摘してあげるコトに
それほど
ためらいはないと思います
そうするコトが
相手のためですから
(^_-)
ビジネスの場
後輩や同僚
親しい先輩
の場合で
一対一なら
やはり
指摘してあげるはず
それでは
上司のときは
(ここでは直属かどうかを問わないコトにします)
どうですか
できれば
上司の顔をつぶすようなコトは
したくないですよネ
従来から
主人に
諫言(かんげん)
するコトは
一番槍(やり)より
難しい
といわれてきました
さすがに
面従腹従(めんじゅうふくじゅう)
(イエスマン)
では困りますが
面従腹背(めんじゅうふくはい)
的に立ち回って
既存のポジションに安住し
保身に走るか
面背腹従(めんはいふくじゅう)
的に振る舞えるか
ここは
評価の
分岐点
になり得ます
「誤り」
ところで
一言で「誤り」といっても
実際には
いろいろ考えられます
例えば
その誤りを前提に
コトが進むと
当の組織にとって
どの程度
痛手(ダメージ)になり得るのか
そのリスクの蓋然性の確度(かくど)は
どうか
こういった視点も必要となる
でしょう
あるいは
相手目線
組織目線
ユーザー目線
等によって
「誤り」の内容が相対化される
かもです
考え出すと
キリがないので
この点は
一応
脇に置きますネ
“(-“”-)”
信頼構築
話を戻すと
既にみたとおり
いろんな場面(シチュエーション)を
想定できました
いずれにしても
相手からすれば
誤りを前提に
コトが積み重なり
後で
大変な事態に陥る
というのは
是非
避けたいと思うはず
結局のところ
相手に誤りを
指摘してあげる
コトは
最終的には
相手に感謝され
信頼構築
に繋がるのです
コレを
感謝できないような
相手は
論外
ですから
さりげなく
距離を置きましょう
(。-_-。)
指摘の時期・仕方
あとは
こちらから指摘する際の
指摘の
時期・仕方
に配慮してあげるコト
要急度合いにより
時期を逸するコトなく
周囲に誰もいない時
誰もいない場所で
誠意をもって
話してあげるのです
なーお
指摘してあげるか
どうかは
もちろん
相手に対する
思いやりの感度にも
よるのでしょうが
ビジネスの場では
突き詰めれば
本人の
ココロの持ち方
志(こころざし)の
高さ
に左右される
ともいえます
対人関係では
こういう地道な
積み重ねが
信頼のみならず
自信にも繋がり
しかも
それが深化すると
人間性
として開花する
と心得てます
( ^)o(^ )
余談
本稿に「余談」枠がなかったのを
いいコトに
日頃(令和4年11月現在)
感じてる点を
つづってみると
「本当によかった」と
心底ナットクできる
生き方って
一体何だろう
と考えたりしてます
(;^ω^)
もとより
いろんな正解があって
いいワケですけど
「いま・ここ」を生きてる
自分が
リアル・ライブで
感じてる点を
もったいぶらず
お伝えしますネ
それは
自身を
ごまかす必要なく
生きていける
生きてきた
コレです!
念のため
注釈を入れると
「自身をごまかす」とは
ヒトとの関係でいえば
自身を偽り虚像を作る
コトです
自身をごまかして
たとえ
富と名声を得たとしても
世間的には
成功者と評されるかも
ですけど
自分の目指す勝利者とは
程遠く
到底
ナットクするのは
無理ゲー!
自身のココロまで
ごまかすコトはできない
からです(-.-)
でもネ
大丈夫ですよ!
改心するのに
遅すぎるコトはない
と信じてます
(●^o^●)
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