寄り道
オリンピック前の
タイムリーな時期に
男子マラソン
日本記録が出ました
(#^^#)
長距離の
マラソンでは
伴走者がいると
ココロ強い
当ブログも
そんな存在になれたら
と願ってます
(*^_^*)
室内窓からの
眺望
転勤族の自分が
横浜の地で
働いていたときのコト
普段よく使う
職場内のエレベーターがある
廊下の室内窓から
四季折々の富士山を
眺望(ちょうぼう)できました
ラッキーですネ
(・ω・)
比較的
午前中の方がよく見えます
午後になると
どうしても
水蒸気が立ち上って
眺めを
遮(さえぎ)るのです
(。-_-。)
霊峰富士の
由縁
目に映る
富士山の姿は
シーズンにより
時間帯により
また
笠雲(かさぐも)の
かかり具合によって
違ってきます
(^・^)
悩みや不安と絶縁できない
人々を
いつでも
在りのままに
受け入れてくれます
懐(ふところ)が深く
なんといっても
神々(こうごう)しい
のです(-_-)
古来から
多くのヒトを
魅了してやまない
霊峰(れいほう)富士
世界文化遺産に
ふさわしい
存在ですネ
( ^)o(^ )
元上司のコトバ
さーてと
話を戻します
程よい緊張感と
適度のストレスを
抱えながらも
日常の合間に
リフレッシュのひととき
として
富士山の威容(いよう)に
いつも
ココロを打たれてました
(^-^)
気持ちを
鼓舞(こぶ)するコトも
少なくなかった
と思います
( ^ω^ )
その際
決まって
思い起こすコトバが
ありました
転勤先だった
京都時代に
そこでの
上長(じょうちょう)が語った
〇〇君
泰然としていろ!
というコトバです
(・ω・)
実は
コレまでの
転勤歴のうち
関西圏に
合計7年
具体的には
大阪の職場に4年
引き続き
京都の職場に3年
となります
なーお
当時は
このまま
関西に骨を埋(うず)めてもいい
とまで
思っていました
(結局東日本に戻ってますけどこの辺りのいきさつはまたの機会に😉)
さきほどの上長は
大阪時代1年目の
直属上司
以降大阪では
大変
お世話になった方
その背中を通し
学び得たモノは
重かつ大
当時
京都のある支社(たとえ)に
所属する自分は
週1の割合で
京都の本社(たとえ)へ
応援に出ていました
その日の仕事が終わると
必ず
上長の部屋に
顔を出すようにしていた
のです
(そうなった経緯は省略😅)
ある日
仕事が終わり
いつものように
上長の部屋へ
少し緊張気味に
(最後まで慣れずじまい😪)
立ち寄りました
雑談をし
(ただ内容は全く記憶に残ってません😰)
その後
コレまた
話の前後を
覚えていないものの
先ほどのコトバだけは
(唐突に発せられたように
記憶してるのですが・・・)
ずーっと
脳裏(のうり)
つまり
ココロ
に刺さってました
意味深(いみしん)
のまま(+o+)
実をいうと
それは
表向きで
本音は
当時の「心理」を
覆い隠している
藪(やぶ)に対し
下手(へた)に
つついたり
払ったりして
逆に
ヘビが飛び出したり
しないか
例えば
あまりにも
自分が頼りなく見えるので
カツを入れるための激励の
コトバの趣旨
であったりとか
その真意を知るのが
怖かったので
あえて
アンタッチャブル
にしてきたのです
(;^ω^)
ですが
このままでは
ココロの靄(もや)が
いつまでも晴れないので
ムリやり
靄の中の藪に
分け入ってみます
(*’ω’*)
ではでは
改めて
なーぜ
突然上長は
そのコトバを発したのか
思うに
これから先
何があるか分からない中
時には
重圧(責任の重さ)に
押しつぶされそうになったり
場合によっては
理不尽ないし不遇に感じる
コトだって
あるかもしれない
けれども
いつも
富士山のごとく
物事に
少しも
動じないでほしい
との親心からのコトバ
と勝手に(超都合よく)
解釈してまーす
(#^.^#)
余談
冒頭で触れた
横浜の地を離れ
久しく
富士山を見る
機会が
ありません
(´-ω-`)
でもでーも!
意味深長(しんちょう)ながら
泰然としていろ!
との部分だけ
勝手に
独り歩きし
コトあるごとに
気持ちを
鼓舞してくれてます
いやいや
上記の側面も
確かにあるんですけど
この際
もーっと
率直に言ってしまうと
経験を重ねるにつれ
このコトバの深長さを
思い知らされる
のです(-_-)
あれっ!
ますます
意味分かんない?
もしや
コレって
「意味深」返し?
まあ
本稿では
この程度に
させてください
(._.)
いずれ
別稿で掘り起こす
コトになりますから
(-ω-)/
ともあれ
もちろん
「関西」への感謝の想いは
いまだに
健在
でーす
(●^o^●)
関連記事
【体験・回顧】どういう仕草にヒトとしての品格・品位を感じますか
※ホーム画面にもどる!
