
#寄り道#
孔子曰く
「五十にして天命を知る」
人生一度きり
もし使命を
知ったならば
僭越(せんえつ)ながら
惜しまず
命を使いきりたいと
思ってるのですが・・・
無知のまま
五十代が
終わって
しまいそうです(;”∀”)
1 供物(くもつ)
例えば
お盆のシーズン
になると
先祖の
お墓参りで
花や飲食物を
お供(そな)え
したりします
仏壇がある家なら
こういう行為は
身近なものですネ
ところで
日常生活において
たまに
次のような声を
聞きませんか
「〇〇したら(〇〇しないと)罰(バチ)が当たるよ」
2 ベースとなる考え方
モノは
その最小単位である
素粒子に関する実験結果
(後記関連記事)
に鑑み
ヒトの観測認知(観念)に
瞬時に
反応し得る
と考えてます
この点を
更に
深堀りすれば
素粒子の持つ二面性が
ヒトの観測認知によって
確定する
との点は
観測者ごとに
相対化
されてる
と考えます
つまり
一旦
確定した
モノの外観は
客観的には
誰から見ても
同じ様相を
呈してますが
その実相は
見るヒト(観測者)
ごとに
異なり得る
と考えるのです
これによると
供物を
有難く感じるヒト
にとっては
供物本来の持つ
用途・価値
以上のもの
になり得ますが
そう感じてないヒト
にとっては
単に
花であったり
飲食物に
すぎない
コトになります
更にいえば
有難く感じてない
からといって
これを
因
として
そのヒト
又は
その行動が
痛手(不利益)や
ペナルティを
受けたり
するコトもない
と結論付ける
のが相当でしょう
「罰(バチ)」的要素を
強調する思想・思考は
ある程度の期間
それによって
ヒトの
心理及び行動を
縛るコトに成功できた
としても
長期的な視野に
立ってみると
結局
自らの首を絞める結果
(矛盾等の露呈など)
になりかねない
ばかりか
そもそも
理
にかなってない
と考えるからです(^-^)
量子力学的思考
をベースにした
現時点における
自分なりの
考え方でーす(^_-)-☆
シンプル
であればあるほど
事柄の本質
に迫ってる
というのが
率直な肌感でーす( ^)o(^ )
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「【マインド・科学】お供え物は、有難く感じるヒトにとって財物本来の価値以上のモノになりますが、そう感じないヒトに対し、ペナルティを与えたりするのでしょうか?」に2件のコメントがあります