
想定読者
一応、万人向けに書いたつもりです。
つまーり、教養を身に付ける一助として読んでもらえば、決して時間の無駄にはならないと考えてます。
その上で、あえて(ムリやり)読者層を想定すると、次のようになります(^O^)
1 ライオン志向の方
自己完結型で孤高のトラ志向の方にはあまり参考にならないかもです。
逆に、群れ(チーム)で動き、分業分担を生かしたいライオン志向の方には一読をオススメします。
2 企業・経営のトップ・リーダーの方
会社企業や団体経営のトップ又はリーダーの方には、心得ておいて損はない内容と思ってます。
3 歴史観・人生観に興味関心のある方
歴史を特定の見方・切り口で考察したり、生き方についての思索を深めたい方に向いてます。
4 向上心旺盛な青年層
特に、ヒトや世の中の役に立ちたいと望んでる向上心旺盛な青年層に読んでほしいと思ってます。
有意な人材・若手は、あまねく「日本」株式会社の幹部候補生的な存在と心得てるからです(^^)
「将に将たる器」
さーて、「将に将たる器」という言葉は、聞いたコトがあるかと思います。
この言葉のルーツをさぐってみます。
紀元前3世紀、始皇帝による秦(しん)は、彼の死を契機として崩壊しました。
その過程で、項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)という二人の人物が頭角を現します。
🔶項羽 の横顔:楚(そ)の将軍の家柄。優れた体格に恵まれ、兵学を修め、勇猛果敢な猛将。部下に慈悲深く、女性に一途(いちず)。
🔶劉邦の横顔:素性(すじょう)がはっきりしない一介の庶民(農民)出身。知略・武勇に拙(つたな)く、兵法・政治にも疎(うと)い。相手の身分の貴賎(きせん)によって態度を変える。女性にだらしない。
見て分かるとおり、将(ヒト)としての「見栄(ば)え」では明らかに項羽に分(ぶ)があり、天下を手中に収める立場に近かったといえますが、実際に天下を獲(と)ったのは劉邦でした。
司馬遷の「史記」には、次のような内容(現代語訳)が記されてます。
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劉邦が家来の韓信(かんしん)に問いました。
「そちは数百万の将兵を一糸乱れず統率して百戦百勝するが、ワシはどれほどの兵を統率できるか。」
韓信曰く「陛下は将軍の力量で言えば率いてせいぜい1000人ですが、私は100万であろうと多ければ多いほど自在に扱えます。」
顔色を変える劉邦に向かって、続けて曰く「しかし陛下はそうした将軍を扱う将に将たる器といえます。」
その後、前漢の初代皇帝になった劉邦は次のように語りました。
「帷幄(いあく)で作戦を練り、千里の遠くにいる敵を打ち破る手腕では、張良(ちょうりょう)に及ばない。
国内をよく治め万民を撫育(ぶいく)する才能では、蕭何(しょうか)に及ばない。
戦場で必ず敵を撃破する能力では、韓信に及ばない。
この三人は天才だが、私には彼らを超えた才能がある。
それはこのような天才を使いこなす能力。
項羽にも范増(はんぞう)という良き臣下がいたものの、使いこなせなかったから敗北した。」
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日本の歴史上の主な人物
日本の歴史をみると、どうでしょうか。
農民から天下人に成り上がった豊臣秀吉にも劉邦と似たところがありますが、その頭脳明晰さが少し気になります。
室町幕府を開いた足利尊氏は、戦上手とか腕力が強いというワケではなく、どちらかというと凡庸(のようにみえた)らしいです。
細かい部分にはくちばしを挟まず、打倒・鎌倉幕府という方針を決断して大きく舵を切っただけでした。
皆さんおなじみの西郷隆盛は、薩長連合を成立させ、倒幕の旗頭として従軍し、江戸城無血開城にこぎ着けました。
日露戦争において総司令官を務めた大山巌(いわお)もこの系譜です。
同じく、日露戦争で、ロシア・バルチック艦隊を撃破した東郷平八郎は、海軍の中では切れ者とはいえず、確かに人望はあったものの、凡庸だったようです。
コレまでみたとおり、日本型の将帥(しょうすい)は、細々(こまごま)とした事項は有能な部下に任せて存分にその能力・才能を発揮してもらい、たとえ上手くいかなくてもその責任は自分がとる、その代わり重要な決断はしっかり自ら下す、というモノでした。
以上触れてきた内容は、既に論じ尽くされてるし、それほど異論のないところだと思ってます。
でーも、そういった目線、切り口だけだと、当ブログにおいてわざわざ「将の将」との大見出しでシリーズ化する意味がありません。
なので、今後、「独見(どっけん)・我流」をモットーとする当ブログならではの視点から、自己チューに人物を選別し、それなりの熱量をもって語っていくつもりです。
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