
前振り
戦さ・争いの規模・中身により
その戦争当事者の
トップ・リーダーに求められる
器・才知(さいち)は
当然
違ってきます
本稿では
あえて
抽象的に
生死と背中合わせの
戦場で
命令に基づき
部隊を指揮する任務に
当たる
指揮官
その後方(司令部)から
命令系統に基づき
指示命令を出す
司令官
という
建て付けで
指揮官・司令官に
要求される
マインド
について
独見してみる
コトにします
(。-_-。)
指揮官のマインド
「食うか食われるか」
生きるか死ぬか
という
究極の戦場で
兵士(部隊)は
その所属部隊の
上官に
自身の命を
預けるワケですから
前線の指揮官には
それ相応の
人心掌握術
人間力
が要求されます
もとより
上命下服(じょうめいかふく)
の組織的論理で
押し通すコトも
不可能ではありません
特に
味方が優勢なとき
部隊の士気を鼓舞し
結束力を保持するのは
容易でしょうが
守勢・劣勢に回ったとき
規律による
心理的拘束力のみで
どこまでしのげるか
心許ない
といわざるを得ません
(・.・;)
「アリの一穴(いっけつ)」
といわれるように
どんなに堅固(けんご)な
陣地(部隊)でも
一箇所のほころびにより
全体が
瓦解(がかい)・崩壊するのは
よくあるコトですから
極限の状態下で
一人一人のマインドを
いかに保つか
ここに
現場指揮官としての
手腕・力量が
問われます
一兵卒であっても
自ら志願して
戦地に臨んでいる以上
ある意味
「死」への覚悟は
あったはず
なのに
土壇場で
覚悟が揺らぐコトがある
とすれば
それは
どうしてなのでしょうか
個別の属人的な要因を
挙げていったら
キリがないので
ここはザックリと
掘り下げてみます
考えるに
やーっぱ
指揮官自身の姿勢が
問題なのだといえます
実際にそうするかどうかは
別として
気持ちの上では
率先垂範
陣頭指揮
の心意気・姿勢を
示さなければ
ならないのです
(`・ω・´)
兵士が上官(指揮官)に
自身の命を預ける
というのは
その前提として
上官に対し
次のような心情を
抱くなどして
絶対的な
信頼感・安心感を
有してるからだと
考えます
①たとえ戦況が最悪でも
このヒトとなら状況を打開できる
などと
希望を保ち続けられる
②兵士の戦死をムダにしない
つまり
亡くなった兵士の功労に報い
残された家族を案じてくれる
③劣勢でも指揮官の責任を放棄せず
持ち場(任務)の死守に努めてくれる
④最後まで
兵士(仲間)を裏切ったり
見捨てたりしない
⑤考えがブレずに一貫し
命令に従った兵士の
梯子(はしご)を
外すようなコトがない
この程度の内容で終わっては
わざわざ「将の将」シリーズを
ぶち上げた意味がないですネ!
もうひと堀りします
戦場
特に
最前線で勝敗を左右する
ポイントは
下士官の姿勢
と捉えてます
そして
戦況次第で
下士官には
陣頭で
勇猛果敢に振る舞い
処し方の手本を
示してもらう
などが
求められます
上官の
立場に不相応な
「死」への恐怖・躊躇(ちゅうちょ)
「生」への執着・未練
といった姿勢は
モノの見事に
周囲に
伝播(でんぱ)するのです
お待たせしました
いよいよ
ここから
現場を仕切る
指揮官の出番です
下士官に対する
指揮官としての
「将に将たる器」
がモノを言います
既に触れましたが
自ら望んで入隊してるので
各人「死」は織り込み済み
その上で
下士官が
指揮官の意気に感じ
体を張って
その役割を
存分に
発揮してくれるか
どうかは
同志としての
人間的な繋がりの
濃淡によるといえ
結局
指揮官の
人間力
に帰するのです
(^-^)
司令官のマインド
指揮官のマインドとして
既に触れた内容は
ここでも
基本的に
当てはまります
異なるのは
次のような点と
考えてます
現場では
目の前で
仲間が戦死する
など
どうしても
思い入れが強く
なりがち
優勢の場合には
まだよいのですが
守勢・劣勢に回った際には
引き際のタイミングを見誤る
おそれを
否定できません
責任感が強く
兵士想いの
指揮官であればあるほど
その危険性が高まります
このようなときこそ
司令部において
総攻撃
奪還
撤退
など
を大局的に判断し
最終的には
司令官が
軍事戦略的に決断します
現場指揮官が
持ち場の死守
隙あらばリベンジ
などを
訴えてきても
機密事項以外の
許される範囲で
軍事戦略的な
判断である点を
説明してあげる
コトです
この場面では
司令官は
現場指揮官との関係で
「将に将たる器」が
ためされる
と心得ましょう
本隊(全軍)にとって
致命傷を負うコト
だけは
何としても
避ける必要があります
“(-“”-)”
この判断を見誤ると
兵士の戦死が
ムダ死に
となりかねません
勝利すれば
こそ
兵士の功労に
十分報いるコトが
できる
のですから
( ˘ω˘ )
余談
米国というのは
多民族国家で
個人主義が強い
お国柄ですが
伝統的に
軍隊・警察関係における
仲間・同胞(ほう)意識は
半端ないです
一例として
米軍は
ベトナム戦争で
自軍兵士が
一人でも
ベトコンに捕虜に
されると
全軍を挙げて
捕虜奪還作戦を
遂行したそうです
ところで
確かに
日本文化の底流を成す
「サムライ」精神は
世界に誇れるモノ
ですが
個人の精神性に
重きが置かれ
必要以上に
その点を
美化・強調しがち
なのが
気になります
(”ω”)
価値感の多様化に
拍車がかかる今日
英米が得意とする
仕組み・システム
の構築・改変
つまーり
客観的合理性の確立
という点を
見習いつつ
我が国のお家芸ともいえる
情緒性を駆使して
主観的な繋がりの
強化に努める
のが得策
と考える
この頃です
( ^)o(^ )
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