寄り道
相手:論理的思考との関係で
意識してるポイントって
ありますか
本人:必要・十分条件です
相手:具体的には
本人:「XならばY」が真なら
YはXの必要条件
XはYの十分条件です
例えば
「安い」なら
必ず「売れる」ワケでない上
「売れる」なら
必ず「安い」とき
「安い」は必要条件であって
十分条件とはいえません
人生の勝利者
になるワザ
一般的に
認知されている
人生の成功者・勝ち組
というのは
社会的な地位・肩書を得るなどした
ヒトのコトですか
しこたまお金を得て
経済的に困らなくなった
ヒトのコトですか
健康長寿を全うして
好きなモノを好きなだけ食べれる
ヒトのコトですか
家族・仲間・友人らに囲まれて
一生を終える
ヒトのコトですか
あげつらおう
とすれば
キリがない
ところですけど
ここでは
社会的・経済的な立場・成果
というよりも
むしろ
そういった
外観的な環境要因等
を除外し
まとった鎧(よろい)を
全て脱ぎ去った
当の本人自身
を基準にした上
その気になれば
誰でも
到達できる領域のモノ
一方
そうはいっても
持続するには
相応の困難を伴う
ばかりか
ヒトによっては
至難の業(ワザ)
になり得る
といった目線・視点から
人生の勝利者
になるための
「ワザ」
を独見してみたい
と思いまーす
(。-_-。)
それでは
もったいぶらず
いきなり
結論に触れると
ビジネスが絡まない
パーソナルな場面で
他者の愚痴(グチ)を
聞いてあげるけれども
自身の愚痴をこぼさない
コレです(‘;’)
あれあれーぇ
もしかして
拍子抜け
してませんか!
愚痴の深掘り
おまかせください
「愚痴」
について
コレから
掘り下げていきます
(`・ω・´)
一般に
愚痴とは
口に出しても仕方がないのに
言い嘆(なげ)くコト
似て非なるモノ
としては
①悪口
当人が直接感知できる
物理的範囲で
そのヒトの悪口を言うコト
悪口を言うと
快楽ホルモンの
ドーパミンが放出され
次第に
より
強い刺激を求めて
悪口の回数や内容の過激さが増し
終(しまい)には
悪口への依存体質という
負のスパイラルにはまったり
しがち
②陰口
当人が
直接感知できない場所で
悪口を言う(陰口をたたく)コト
③文句
利害関係者に向けて
文句(苦情)を言ったり
不平不満を伝えるコト
ところで
こうした
悪口等と違って
愚痴は
「愚痴っぽい」
「愚痴る」
とのコトバぶりがある
ように
口癖として
ついつい
言ってしまいがち
なるほど
愚痴の場合
相手を
直接傷つけたり
攻撃するような要素がないし
先輩・同僚・仲間に相談して
愚痴を
聞いてもらいやすく
その結果
日常生じる
ストレスの発散
悩み・不安の解消・軽減
につながるなどのメリット・有用性
があるのは確か(‘ω’)
で・す・が!
人生の最終章のステージで
生きざまの棚卸(総決算)は
まぎれもなく
本人自身による
評価(ナットク感・ハラ落ち)
に依拠します
なので
日頃から
評価(思考)の形成過程を
ヒトまかせにしたり
依存したり
無用に
影響されたりせず
気分や感情をコントロール
しつつ
主体的かつ理性的に決める
クセをつけるのが
吉
と心得てます(^.^)
肝心要(かなめ)の
点なので
厭(いと)わずに
もう一度
敷衍(ふえん)しますネ
(^_-)
実は
人生の成功者と勝利者は
使い分けています
つまり
成功者に値するかどうかは
ヒトが決めますが
勝利者かどうかは
自ら決めればよいのです
要するに
自薦(じせん)に対し
自らナットクできるかどうか
ハラに落ちるか否か
にかかっている
と捉えてます
なーお
仏教的にみると
愚痴とは
愚(おろ)かで
思い迷(まよ)い
モノの理非が分からない
コトであり
苦しみを生み出す
根源の一つです
たーだ
そうはいっても
ビジネスの場面では
あえてグチって
周囲に
自身の弱さ・スキをみせる
(潤滑油になったりします)
コトも
あるある
だし
意味のないムダ口とも
いい切れないので
こうした例外も許すような
ユル・ヤワの姿勢が
得策
と心得てます
( ^ω^ )
念押し
念のため
再三
繰り返しますけど
慰(なぐさ)めを
外部に求めてみても
詮(せん)無きコト
(・_・;)
正に
言っても仕方がない
のです(‘;’)
先に触れてますが
愚痴をこぼさない
という振る舞いは
シンプルながら
「真」
という行動規範に
基づいたモノであり
この振る舞いを持続できれば
至難の業であるだけに
最大級の自画自賛
に値すると心得ます
( ^)o(^ )
いよいよ
まとめに入りますけど
自身の品位・尊厳は
自身で守る・保つ
コレこそ
ハラの底からナットク感を
勝ち取るための
必要条件の一つ
と肝に銘じてまーす
(●^o^●)
余韻
不落の城
書き切った感があるため
今回は
余談に触れる
余裕がないかなぁ
と思ったものの
外野席から
「愚痴をこぼさないコトは分かったけれども逆に悪口等は言ってもよいのか」
などの
疑問・指摘が
予想されるため
この点を
補足しておきます
(`・ω・´)
関係者の面前で
悪口・文句を言うのは
その言い方・場所に配慮する
必要があるとはいえ
それをきっかけに
生産的・建設的な方向に
進んだり
アウフヘーベン
につながったりと
メリット
もあるコトから
もちろん
奨励(しょうれい)は
しませんけど
一概に
否定もしません(‘_’)
殊(こと)に
ヒトの上に立つ
ならば
相手に害意がない限り
感情的な
悪口等であっても
ハナっから
シャットアウト
ブロック
するのではなく
一応
聞く耳を持つ姿勢
でないと
もったいなーい!
(^-^)
例えば
イベントを終えた組織団体が
躍起(やっき)になって
アンケート等を実施するのは
匿名(とくめい)の場合ですら
クレーム等が
気づき等の宝庫となる
からです(#^^#)
害意のある相手なら
秒で切って構わないものの
その吐露された感情自体は
欠片(かけら)であっても
一考に値するかも(-.-)
おまけで
もうひと堀りすると
自身の内面に
持ちこたえられる
「不落の城」
(ゲーテ「ファウスト」より)
を構築できるか
どうかは
自身に向けられたネガティブな言動
に対しても
全て
築城のための材料と
前向きに捉えられるか否か
にかかっている
と自戒してます
(・ω・)
最後に
陰口については
その行為の性質からみて
自身の品位・尊厳は
自身で保つ
とのコンセプトに抵触する
おそれが大なので
口にしないよう
心掛けてますけど……
(-_-)
余談
本稿も
下書きのまま
ケッコー
寝かせてましたが
今回
読み返してみて
特に
内容面で
違和感がなかったので
ほぼ
修正なしで
リリースしてまーす
(●^o^●)
追記
図に乗る
注)当記事は
当ブログ・ホーム画面上「掲示板」
更新日:R6/5/14の記事を転載したモノ(‘_’)
さっさと寝ればいいのに
当記事をつづってます
今宵は
外部の某協会主催による
こぢんまりとした飲み会に参加(‘_’)
宴会会場に入ると
中国料理と認識します
回転テーブルが乗った円卓だった
からです
指定の位置に着席し
間もなく主催側から
来賓挨拶の依頼があります
(;´・ω・)
ココロの中で
前もって打診しておくのが
暗黙のルールでしょ
と思いつつ
ハイ
分かりました
と二つ返事で快諾(-“-)
主催側の挨拶に続いて
自身の挨拶が終わり
自席に戻って
しばし懇談(^^)
右側に着席してる品のいい女性
との雑談の中で
話の前後は忘れてしまったとはいえ
年齢が話題になり
既に
〇代に入ってるんですよ
と告げると
その女性
大そう
たまげた様子をみせながら
40代に見えますよ
顔にツヤがあるし……
この懇親の場は
常識の権化(ごんげ)のような方々
(もちろん自分は自動的に除外)
が参集しており
媚(こ)びを売ったりする
お調子者や軽薄なヒトは
いなさそう(‘ω’)
自分の世代になると
面と向かって
ヒトにホメられるコトがまず
ありません
やって当たり前
できて当然
なのです(‘;’)
というコトで
せっかくですから
変に詮索(せんさく)せず
ひとしきり
図に乗って舞い上がる
コトにしまーす
( ^)o(^ )
それから
自ら身に着けていた
カフスボタンも話題となり
素早く
自身の円卓及びその周囲を
一瞥(いちべつ)したところ
誰一人見かけません
さーすがぁ
常識派の保守層
と感じつつ
すかさず
腕をさらしながら
アームバンドもやってますよ
最近してませんけど
サスペンダーも使ってました
と追撃のカードを切り出したところ
サスペンダーに関しては
かろうじて
一人から援護射撃が(^^;)
あとあと
自席の円卓内で
(自分の属する業界では)
めずらしいタイプ
ですネ
というニュアンスのコトバが2回くらい
飛び交った記憶(‘ω’)
好意的・反感的どっちの意味合いも
各々(おのおの)
ありそうでしたけーど
もちろん
ホメコトバとして
受けとめてます
だーって
いまさら変えようがないし
変える気もないので
(#^^#)
注)先ほど登場した女性の口から
周りがパーッと
明るくなる……
と漏れ聞こえた覚えがあるものの
コントロール不能な幻聴
だったかも
(;´・ω・)
