宙ぶらりん
「宙ぶらりん」とは
ぶらさがってるコト
転じて
中途半端な状態
を意味します
一般的にみて
何事においても
宙ぶらりんのまま
っていうのは
嫌なモノだし
避けたいですよネ
重要事項であればあるほど
中途半端なままだと
気持ち悪いし
気をもんだりして
落ち着かないのは間違いないです
なので
精神衛生上
さっさと
やり遂げるのが
吉!
以上が王道なのは
いうまでもありません
ただたーだ
いつも内容・事柄を確定できる
とは限らないのが現実(‘_’)
中には
不確定のままで継続したり
凌(しの)がざるを得ないコトも
ままあります
(。-_-。)
例えば
投資家の場合
いちいち
値動きに
気持ちが左右されるようだと
向いてないかも(..)
繰り返しを厭(いと)わず
もうちょっと
イイですかぁ
中途半端で不確定な状態
に甘んじるって
敬遠されるし
弱みと捉えられがち
ですけど
視座をずらせば
胆力(たんりょく)を養えるなど
強みにもなり得ます
すぐに
結果・成果を求め
劣勢を挽回したがるのがヒトの常
でーーも
だからこそ
肉を切らせておいて
(成果には代償がつきモノですから)
最後に
骨を断(た)つ
とのマインドを育て保てると
めっぽう心強い
武器になる
と心得てます
(´-ω-`)
因果論・量子論
ここまでは
宙ぶらりんの点に
スポットを当てながら
一般的な話をしてきました
さーて
この先は
少しマニアックな話をさせてください
過去記事において
果報につながる善根が
何処(いずこ)かの国土・宇宙に
刻み込まれる
旨触れてますけど
現時点(令和4年12月)でも
その考え方が
選択肢の一つになるのは
変わっていません
たーーだ
だからといって
例えば
クリエイター(プログラマー)を通じ
ゲームソフトに
必要な情報が全て書き込まれる
ような場面を
想定するモノではありません(..)
この点は肝部分なので
更に掘り下げると
万物は
ヒトの観測(意的部分)によって
確定し
その意的部分が
自称「大いなるモノ」と
瞬時に
通じ(観念し)合って
因果の萌芽(ほうが)が
ヒト(知的生命体)の
「生命」自体に附帯する
と捉えてます
(・.・;)
後記関連記事でも
前振りしてますけど
ここでいう
「モノ」は
いわゆる
「物」ではなく
かといって
「存在」なのかといえば
そうともいいきれず
どちらかというと
「状態」に近い
イメージかも
ともあれ
当の生命を宿してる
「大いなるモノ」が
有形的に
特定の地点・空間に
常在するのか
波動関数的に
浮遊・蔓延しているのか
はたまた
無形的に
身近で
寄り添っているのか
などなど
いずれに当たるか
ハッキリせず
まさに
宙ぶらりんの状態なのです
つーか
核心部分は
むしろ
骨太の仕組みにある
とみてます
敷衍(ふえん)すると
「大いなるモノ」において
万物を全て支配し決定付ける
のではなく
基本的スタンスは
個(知的生命)の観念を
尊重すべく
それぞれの因果律に任せながら
節目において
直接
因果律を差配(さはい)する
といった点にあり
コレをベースに
仕組み化されている
と捉えており
一定の箇所に
全てを記録させる考え方
例えば
ホログラムの仕組み
を応用しつつ
記録を
オールインワン的に
投影(活用)するのは
存在するモノが
全て
無機質的に記録(コード化)された
量子力学的ホログラムから生じる
投影(映像)にすぎない
コトになってしまい
なーんか
唯物(記録)論的じゃなーい
と揶揄(やゆ)されかねないかも
のみならず
このままだと
意的要素を
生かし(観念し)にくいなど
違和感
爆上がり!
もーし
その考え方を尊重して
記録化に踏みきるなら
記録等の作業場(貯蔵庫)と司令塔を
一緒くたにするよりも
仕分けするほうが
スッキリしてイイかも
ここでは
記録化の話を
この程度にとどめ
続きは次項で
改めて
触れるコトにします
ともあれ
「善」が報われて
「徳」が開花するような
「成果」が
きちんと
「次」につながる
とのシステムに注力すれば
十分であって
ある程度
曖昧(宙ぶらりん)さが残っても
最後は
戦略的にみて
シンプルに勝るモノなし
と自認してまーす
( ^ω^ )
多次元論その他
ビッグバン(インフレーション理論)は
チョー
ザックリといえば
ある空間(真空)の零点(ゼロポイント)
において
当宇宙の創成の契機となる
ビッグバン(火の玉)が起こった
というモノですけど
零点に
当宇宙の創成上必要な
エネルギー
が圧縮されていたのは
当然の前提
問題は
当宇宙に係るシナリオ(創成~終焉)も
全て記録化されていたかどうかです
考えるに
当宇宙に関する
全てが
事前に
記録済みだとすれば
途中の改変作業は必要ない
ばかりか
むしろ
背理のおそれさえあります
のみならず
多次元論を前提とする
マルチバース理論に従うと
当宇宙(ユニバース)に係る
零点において
そもそも
全て(全宇宙)の記録化が可能なのか
などと
どうしても
疑義が残るのです
なら
多次元論に立脚した上
多次元中の
何処かの零点で記録化される
とみた場合
その零点において
エネルギーバランスを崩す
(ビッグバンを誘発する)
「量子ゆらぎ」が
たまたま
生じたとしても
記録化の点まで
「偶然」によって
説明がつくのか
加えて
再度ここでも
前もって
全てを
記録し尽くせるのか
との疑問が生じます
(-ω-)/
すみません
もう一押し
させてください(..)
零点を
記録貯蔵庫のように捉えたとき
現実世界の個(ヒト)による営み
との関係では
貯蔵される記録と
個(ヒト)の意的部分との
相互間の交信が
前提になるところ
貯蔵庫側にも
その交信を可能とする
意的要素の存在を
認めざるを得ないはず
そこで
この視座を踏まえて
零点を
記録貯蔵庫かつ司令塔のように
考えた場合
全宇宙のありようを
事前に記録化する
クリエイター的な側面が
必須となるにもかかわらず
コレを
偶然の事情にすぎない
と捉えるのは
明らかに
ムリがあるほか
もーし
貯蔵されたモノを
記録化にとどまらず
観念(意識)化させた上
コレを固定せず
個(ヒト)の意的部分に応じて
必要な範囲で
事後の改変を許すならば
「大いなるモノ」と大差がない
コトになりそう(-_-)
もともと
司令塔(「大いなるモノ」)って
無始無終のようなモノ
であって
そもそも
記録化になんか
なじまなーい!
じゃない?
記録中に
無始無終の点も
明記されているなら
何とか
ナットク感
保てますけど……
まーだ!
あります
あらかじめ規律しない
(枠をはめない)
司令塔を認めるならば
記録化には
意味がなくなるほか
せっかく
意的部分を生かそうと
舵をきるのに
「愛」を背景としない
(ようにみえる)
仕組み作りは
違和感を通り越して
愚策とのそしりを免れない
と捉えてます
_(._.)_
所詮
仮説なのだから
できるだけ
明解に示すのも
悪くないですけど
あえて
踏み込むコトで
ヤブヘビ
になって
自身のクビを絞めても
踏んだり蹴ったり
ですからネ
(´-ω-`)
以上みてきたとおり
宇宙にまで
話が及んでしまいましたが
なんだかんだいって
結局
宙ぶらりん
に落ち着きました
(●^o^●)
余談
さてさて
余談ですから
目線を変えてみます
真理を追究する過程に
着目すると(^^;)
ヒトそれぞれ
バックボーンが違っても
大概(たいがい)
似てくるものです
「真」に肉薄してくるほど
その傾向が顕著になる
と心得てます
“(-“”-)”
とはいっても
ビジネスや営利目的が
絡(から)んでくると
すこーし
厄介(やっかい)ですけど……
(-.-)
なおなお
ビッグバン・マルチバース
に関する
下書き保存中の関連記事は
次のとおり
(仮題)【万考・科学モドキ】宇宙(ユニバース)の終焉に際し、生命に伴う「因果」まで断絶すると考えるかどうかは、ヒトそれぞれですネ!
追記1
実のところ
本稿は
早くても
半年くらい先の投稿を
見込んでいました
なのに
どうして投稿を前倒ししたのか
っていうと
本論で触れた
「大いなるモノ」を中核とし
コレに関連する
ビッグバン・マルチバース等の内容が
全て
限定特化記事に分類されている
関係上
この関連記事が日の目を見るのは
かなーり
先になる見通しとなるため
むしろ
基本的な考え方を先出しして
段階的に
補足説明を加えていくのが
無難かも
と思い直した
からです(^-^)
なーーお
念のため
言っときますけど
陰徳を積まないと
幸せになれない(果報につながらない)
のかなぁ
などと
気落ちする必要は
全く
ありません
本論で触れた
仕組み化の話は
全宇宙規模的なシステム論
となる一方
個(ヒト)が現に
幸せになれるのかどうかは
個における諸事象の受けとめ方
の話であって
「次元」を異にする
からです(;^ω^)
モチ(ろん)!
「次元」の点は
後記の記事タイトルを意識して
まーす(^_-)
というコトで
最後に
宣伝をさせてください
翌2月23日(木)夜に
下欄のタイトルで
限定特化記事を投稿予定です
【万考・科学モドキ】素粒子物理学でいう「11次元」をマクロ宇宙論っぽく独見的に語ってみまーす!
その界隈(かいわい)では
トレンディで注目株の
パラレルワールド
に関する
次元的な観点からの位置付けが
明らかになるはず(‘_’)
超ユニークな切り口となっており
一読の価値絶大と自負します
( ^)o(^ )
ただたーだ
座標点を駆使するなどの内容面を
踏まえると
この分野に興味関心のある
猛者(もさ)には
オススメですが
理系アレルギーの方には
「ちょっと」かも……
<(_ _)>
関連記事
【万考・夢想三昧】劣勢を一気に逆転できるコトって、スポーツの世界に限らず、生きざまにもあっていいよネ!
追記2
両輪のバランス
登庁と退庁の際
庁舎内のエレベーターを使わず
階段を5階分昇降(しょうこう)してます
最初の頃は
3階分を過ぎたくらいから
息切れし出し
注)前任庁でも
3階分やってましたから
この限度ならほぼ平気なんです
(^-^)
ノルマの5階分を終える頃には
息がゼーゼー
足がガクガク
してましたけど
2か月ほど(令和6年9月~10月)
続けた結果
期待したとおり
慣れてしまいました(‘ω’)
ヒトの順応性って
ホント侮(あなど)れませんネ
さてさて
ガラッと
話題を変えます
(´・ω・)
某プラットフォーム上の
ある記事を読んでると
絶対文感
という見慣れない
文字が目にとまりました
そして
次のような内容(要旨)が続くのです
=====
その文章の良し悪しが
誰も気にならないような
微妙なズレが
瞬時にわかってしまう
能力を持っている
=====
ヒトに内在するコトバの体系
のコトを絶対語感というそうですけど
「語感」に伴うワードに対して
「文感」の場合にはフレーズまで
射程が拡大される
とみるコトが可能かも
いずれにせよ
言わんとする趣旨には
特に異存がありません
文章をザーッと読む(みる)だけで
書き手のレベルやコダワリ具合がほぼ歴然
としますから(‘;’)
注)だからって
絶対文感がないと
収益化可能な文章が出来上がらないか
っていうとそうではありません
内容の分かりやすさは別の話だし
外部委託だって可能ですから(‘_’)
更に続く前記記事のうち
ここで注目したいのは次の内容(要旨)
=====
目に飛び込んできたら最後
気になって
直したくて
ウズウズしてしまう
=====
絶対文感(語感)が高すぎると
文章と対峙した途端
アタマがフル稼働し
楽しいがために
ついつい酷使しがち
しかも
微差(びさ)レベルでも気になるなど
センサ(感度装置)の作用が半端ない
のです(-_-)
とどのつまり
どうしても
煮詰まってしまい
病んで
心身を蝕(むしば)むコトに……
(。-_-。)
ではでは
こういう状況を回避し打開するには
どうすればよいのか
ハーイ
ピンポーン!
気分転換に決まってます
(・ω・)
ただネ
例えば
ゲームとかだと不十分
つーか不適(‘_’)
むしろ望ましいのは
カラダをそれ相応に動かし
徐々に負荷をかけていくコト
その間アタマは基本
解放(フリー)してあげてください
アタマを使い
カラダを動かす
この両輪をバランス良く操縦するのが
長く健(すこ)やかに戦い続けるための肝
と心得てまーす( ^ω^ )
※ホーム画面にもどる!
