【生活・よもやま話】「ドキドキ」感って寿命を縮めるんですか

動悸

ここでは

ザックリと

心臓の鼓動がドキドキと
早く感じるコトを動悸
(どうき)

と定めてみます




ところで

ある想定外の場面に遭遇すると


ドキドキと
胸を打つ


コトって


誰しも
体験済みかと思います



その際


おかげで寿命が縮まった


とつぶやいてみたり……




そして

動悸というコトバでくくると

どうしても
ネガティブな場面を想起しがちです


総心拍数一定
の法則?


心臓って
一生涯で鼓動する回数が
決まっている


との口承(こうしょう)のたぐいがあります



もーし

この都市伝説が「真」であれば


鼓動が早まり

その結果
心拍数が多くなると


寿命が縮む


コトに帰します




興味深いので

もう少し
掘り下げてみよーっと(^^)/



まずは

前提事項を整理しておくと

一定の時間内に

心臓が収縮して
全身に血液を送り出す
拍動の回数のコト

心拍数といい


心電図で確認できます




ちなみに

心臓が血液を送り出す際に
動脈に拍動が生じる回数は脈拍数
といわれてます



基本

心拍数と脈拍数は
同じリズムで動いているので
同数となりますが



例えば

不整脈があると

心臓が血液を送り出しても
しっかり動脈に伝わらず

その結果
拍数に差異が出る
場合もあります




ではでは

ここから
具体的にみていきますよぉ



成人の安静時の心拍数の正常値は
1分間に60~100回
といわれてます




哺乳類の場合をみれば

ハツカネズミの心拍数は
1分間に約600~700回で
寿命は2~3年



ネコの心拍数は
1分間に約120~180回で
寿命は約10~15年



ゾウの心拍数は
1分間に約30回で
寿命は約70~80年


との推考(すいこう)があり



コレらの動物(ヒトは除外)における
一生涯の総心拍数を推計すれば

いずれも

10~15億回


となり



以上を踏まえると


心拍数の少ない動物は長寿
心拍数の多い動物は短命


と帰結されます




それでは

ここで

動物の
総心拍数は一定」との仮説


をヒトの場合に当てはめてみると



ヒトの寿命はせいぜい40年程度
になるはずですが


時勢は
人生100年時代といわれて
久しいところ

この点につき

生命の安全確保に向けた
環境保全

社会福祉・保健医療の

劇的な進展・発達


などの諸点が
要因といえます




とどのつまり


ヒトは
その英知により

総心拍数一定の法則に抗って
寿命を延ばしてきた

と評するコトが可能(‘ω’)


まとめ

そろそも
まとめに入りますけど



その前に
ちょっと蛇足として

血圧が高め(120~130mmHg)
の自分の場合


血圧心拍数とはどのように関係してるのか
につき少し気になるので
深入りしない程度に立ち寄ってみれば

まーず

血圧とは
血管の内壁に当たる圧力のコトで


血管中の血液量が増加したり
血管内が収縮すると
血圧が上昇します



そして

血液量が増加する場合
全身に血液を送る必要がないので
心拍数は低くなります




他方で

血管中の血液量が減少したり
血管内が拡張すれば
血圧は低下し


さらに

血液量が減少すると
全身に血液を送る必要が生じるため
心拍数が高くなるのです



以上の点を踏まえれば

血圧と心拍数について

直接の関連があるとまではいえない
としても

血液量の増減によって
相関性が肯定されそうですネ
(^・^)





さてさて

本稿のまとめになりますけど
一定の修正があるとはいえ

ヒトの場合にも

「総心拍数一定」の法則は
それなりに当てはまりそう(^^)



なので

モノによるとしても

ドキドキ


については

心拍数ひいては寿命の延縮(えんしゅく)に
それ相応の影響を与えそうなため
最小限にとどめるのが無難かも(´ω`)




だとすれば

カラダ(心拍数)とココロは一体なので
ココロ(感情)の振幅を一定に保つ



そのためには


あらかじめ織り込むコトで
想定外の事態を極力減らす



この「織り込み済み」のスキルが少なくとも
「意識」の作用する場面では戦略上有用
と心得てます( ^)o(^ )





もーっとも

同じドキドキ感であっても
ネガティブなモノではなく


いい意味での
サプライズ
マインドの高揚
ハートマーク


に直接かかわるモノなら
むしろ歓迎しましょ

(●^o^●)




上記のモノ
特にハートマークの場合


ココロに
ハリ・うるおいを与え

カラダを
若々しく蘇生させるため


メリットのおつりが十分残る
でしょうから(^.^)


余談

自宅近くに
公園があるんですが



今夏(令和4年7月下旬)も
オスセミさんによる

ラブコールの大合唱!


自身も

例年になく

耳を「ダンボ」にして
風情(ふぜい)を堪能(たんのう)してます




さーてと

ヒト以外の動物の場合

それ相応の
知能を有する同類ゆえに


寿命の長短
生き方の濃淡


について

当動物なりに関心があるのかも
と思いをめぐらしてます




対して

セミさん(昆虫類)の場合


愚直(ぐちょく)に
粛々(しゅくしゅく)と
使い切っただけのコトで



ヒトが好き勝手に

健気(けなげ)」


に感じたりしても


セミさん側からすると

上から目線の
大きなお世話


と映ってるにすぎないのかも
(・_・;)


追記

当ブログのどっかの記事で

自分のような老境(ろうきょう)に入ると


コトが重要になってくる
みたいな話をしてます




ただたーだ!

誤解があるといけないので
ハッキリ断っておくと

しない点を必要以上に
強調するつもりはありません
(~o~)



つまり

しない点が独り歩きして
評価されるのは本意でないのです



まだ分かりにくいでしょうから
掘り下げていきますネ


自分のように
人生は奮闘の連続と捉えるならば

する・しないの点が本質となる
わけではないんですよ



静観して何もしないでいると

悪がはびこり
のさばると考えるため

悪に加入・加担しなかったとの不作為
だけでは明らかに不十分(‘_’)



言い直せば
悪に対抗する作為が不可欠なのです
(´-ω-`)


大丈夫?

念のため
道家(どうか)思想を例にとって
もうちょっと補足してみますネ



「上善(じょうぜん)は水の如し」
とあるとおり

老子の場合

水のように他者と争わない生き方が
かえって自在の能力を手に入れる
との考え方をベースにしており


結局のところ


と帰結できます



でもそれって
見方を変えれば

悪が増長増幅(ぞうふく)しようが


となりかねず


煎(せん)じ詰めれば

自分さえ良ければそれで足りる
との点に落ち着きかねません



悪との対峙闘争を余儀なくされる
現実世界において

老子・荘子の思想はカベ(限界)に直面する
というほかないのです(´・_・`)




ただ言っておきます
けーど

個人的には
老子をリスペクトしてます
(*´ω`*)


歴史上「真」に迫った一人であって
「指折り」

換言すれば
十指(じっし)に入る十傑(じっけつ)レベル
に違いないので(´ω`)


あえてわざわざ
取扱上の注意事項に触れておくと

深入りすればするほど

虚無(きょむ)的(人生をむなしむ)
厭世(えんせい)的(世をはかなむ)
になったりするのが玉にキズかも(-_-)




ではでは

イイ頃合いなので
まとめをしてシメまーす


しないとの不作為は
自身の生き方をナットクするための
あくまで手段(スキルレベル)の一つであって

本質・目的のように位置づけるのは
明らかに分不相応(‘ω’)


オッケー……?



注)せっかくなんで
しない点の好例を一つあげておきます

ヒトそれぞれ
当人の良さを引き出す適性体重ってあるはずなのに
「より細く」を求めがち

だってネ
テレビを観てると

細すぎーだよ
ふくよかなほうが魅力的なのにぃ


と感じるコトが少なくありません


ムリムダな努力は極力しない
のが上策であるにもかかわらず

分かっちゃいるけど
やめられない


のがヒトのサガだったり……
(^_^;)



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投稿者: toshi0227(トシ・オウ・トウ・トウ・セブン)

都内マイホーム、妻子持ち、シニア層男性。O型・サソリ座。モットー「いまが一番!ここが一番!」。スローガン「時空を超えろ!」。趣味はテニス・ゴルフ・油絵等。定年退職後に、社会との接点を確保して認知機能の低下を防ぎ、健康長寿を目指すべく、遅きに失した感はあるものの、平成3年元日から、思い切って「ユル・ヤワ」に「T.H.BLOG」を始めてみました。大海原を航海中ですが、よろしくお願いします。 ブログの公開表示名「toshi0227」は「トシ・オウ・トウ・トウ・セブン」と読みまーす(^^) スタエフ(音声配信)・エックス・インスタ・スレッズもやってます(^<^)

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