人生最後の日
本稿でいう「人生最後の日」の
意味合いは
個人レベルでの病気・事故等による
突然の死期(シキ)ではありません
地球レベルで
想定外に来襲するモノ・コトにより
人類の終焉を回避できず
「最後の日」までに
1週間くらいしか猶予がない
といった
荒唐無稽(コウトウムケイ)な事態を前提
としてます
最悪の腹づもり
ではでは
なーんで
わざわざ
荒唐無稽な最悪の事態を
想定したりするんですかぁ
手持ち無沙汰(ブサタ)の
暇人(ヒマジン)がやるコトですよ
との声が聞こえてきそう
ですけど
コレまで何度も
触れてきたように
あらかじめ
最悪の事態を想定し
思考検証しておくのが
自分流(人生戦略)
なのです( ^ω^ )
注)コレまで
別の記事で記したかもですけど
モノ・コトに処する際の心構えとして
「最悪の想定」のほか
「逃げ道」もセットにする
よう意識してます(・_・)
予想外に起こる
青天の霹靂(ヘキレキ)に遭遇すると
どうしても
見苦しさが出てしまう
ものです
逆に
事前に
腹づもりしておけば
案の定
最悪の事態が起こっても
かえって
自身の
先見の明
(センケンのメイ)
予知力
に納得して
腹落ちにつながる
との副次的効果も
期待できます(´ω`)
腹づもりの中身
それでは
腹づもりの中身を
具体的に
みていきまーす!
食べモノ
エーッ
トップバッターが
食べモノですかぁ
とのたまう
アナタ!
侮(アナド)っては
いけません
代表格は
最後の晩餐(バンサン)
つまーり
イエス(キリスト)が
十字架にはりつけられる前夜
12人の弟子と共にした
最後の食事のコトですけど
何事もそうだと
思いますが
実は前提条件があります
なんのコトかといえば
コト(死期)に臨むに当たっての
前向きな姿勢・覚悟
です(‘_’)
最後の食事を楽しむためには
ココロの整理(据わり方)が不可欠(-_-)
ココロが定まらず
フラフラ・フワフワしてると
味がしない
ノドを通らない
などに
なりかねません
注)戦場でのごとく
戦死も予想覚悟しながら
「腹ごしらえ」する場合とは
大きく違います
念のため
言い直してみると
この土壇場で
食事を楽しめる
腹(胃袋)に落ちる
ならば
見方によっては
人生の勝利者への資格十分
と評価されるかも
( ^)o(^ )
さーてと
外野から
じゃーあ
最後に
何を食べるんですかぁ
との質問が聞こえてきそうなので
コレに答えておきます
おそらく
意外と思うはず
甘党を自認する
身としては
洋菓子(ケーキ類)も
捨て難いものの
最後の食べモノに指名しようと
ひそかに決めているのは
ぼたモチ
でした(*‘ω‘ *)
その理由は
太平洋戦争で出征(シュッセイ)した
若者が戦地で
ぼたモチを食べたい
と言い(想い)ながら
死期を迎えていたコトが
ふかーく
ココロに刺さっており
彼らの心情を
ほんのちょっと
とはいえ
追体験できるイイ機会
だからです(^-^)
なーお
「おはぎ」との違いは別稿に
譲ります(´ω`)
「次」の自分
自身は
過去・現在・未来の三世の
地平を照らす
因果律
を信じてます
そして
自身の生きざまに
納得し腹落ちさせる
とともに
未来(来世)の自分を
想い描くコトで
自身の観念が「次」につながる
と捉えるのです
妻子の看取り
話題(事柄)の性質上
ツライ話に
なってしまいがちですが
妻子に対し
ギリギリまで
コトの成り行きを見届けた上
できるだけ
心身共に
苦痛を伴わないように
しつつ
看取(ミト)ります
具体的な看取り方は省略(^^;)
自身の命を
使い切るなどして
自らナットクさせる局面とは
明らかに違ってますけど
最低限の役回りは
きっちり果たしたいと
願ってます
( ^ω^ )
自身の始末
最後に残っているのが自身の始末(-_-)
具体的な始末のやり方は省きます(..)
余談枠は……
当初は
いつものごとく
「余談」をカマすつもりでしたが
本文の話を進めるにつれて
すっかり気持ちが滅入って
しまいました
というコトにして
幕引きでーす(^_^;)
追記1
死生観モドキ
科学ネタの別稿で触れてるとおり
ヒトの情報は転生し
モノの情報も転移する
と捉えるとともに
現世で附帯された因果は来世に
承継される
とみるのです
( ^ω^ )
言い換えると
宇宙創成以来
主役を約束された
(使命を付託された)
知的生命体は
個々の寿命により生命「体」は滅ぶものの
「生命」は続く
と心得てます
(。-_-。)
(ちょーっと暴露しすぎじゃない)
いきなり
幻聴クンがチャチャを入れてきたので
以上についての詳細は
下書き保存中の諸記事に
譲っちゃおーっと(´ω`)
前振りは
この程度にしておきます
(*´ω`*)
思案のきっかけ
なんで
こんな死生観モドキのネタを
なんの前触れもなく
引っ張り出してきたかっていうと
次のエピソードからなんです
いつものように
仕事帰りの電車内(‘_’)
イヤホンをしているので
車内放送はよく聞こえなかったものの
案内表示(モニター)に
特定区間内で人身事故があった旨
流れてました
以降
電車の運行は遅延・中止状態
何度も
乗り継ぎを強いられ
都度
ヒト込みで混雑する停車駅を経ながら
なんとか
帰宅(・ω・)
自死のハードル
さてさて
自ら死を選ぶ自死数が
交通死亡事故数を大きく上回っている
(4倍超)のは周知の事実(‘;’)
死を選んだ理由は様々な要因が絡むなど
一概に断ずるコトはできませんが
もーし自ら死を選んでも
ユートピア(理想郷)に行ける
と期待してるとすれば
由々(ユユ)しき事態
なんじゃない
と考えてみたり……
当人の抱く死生観により
死へのハードルが下がっている
(生への価値を軽んじてる)
のではないか
と心配になります
実情はといえば
ただただ
目の前の苦しみから逃れたい
との一心で衝動的に死を選んだり
してるにすぎないのかも(‘ω’)
なにはともあれ
今回のエピソードで
アタマに浮上するとともに
以前から
懸念していた点に触れてみます
まーず
分かりやすくするため
極端な例をあげてみると
生前
極悪非道の所業(ショギョウ)に及び
あるいは
それを繰り返しながら
死の直前
手のひらを返すかのように
心変わりをして
神仏の慈愛にすがりつく
というケース(‘_’)
心底
自身の罪深さを悔い改めているなら
まだしも
その内省が不十分なのに
わざわざ
それまでの因果を遮断(シャダン)して
ユートピアへのパスポートを
許可発行するのはいかがなものか
と思っちゃったりします
(・_・;)
ヒトの道に
違背(イハイ)してませんか
真に内省を深め
悔い改めようとするなら
罪業(ザイゴウ)を
洗い清めたりする道を
一旦受け入れるんじゃない
とのココロの声が聞こえてくる
のです(..)
そうでないと
追い詰められて
被(ヤブ)れかぶれで
神仏の加護にひれ伏す
だけのヒトと同等扱いとなり
その結果
死の恐怖(肉体的苦痛に加えて因果律の応報)
から解放された悪(魔軍)の跋扈(バッコ)
つまりは「のさばり・はびこり」を許し
個人の平穏
のみならず
社会秩序の維持が困難となって
最終的に
人類(知的生命体)の平和繁栄が危うく
なりかねません
罪業深いヒトに対し
その再起更生の方途(ホウト)を奪えとか
阿鼻(アビ)地獄に放り込んで
永遠に抜け出せないようにしろ
などと訴えてるわけでは
ないのです(‘ω’)
要は
チャッかり
罪業をチャラにして
ユートピアに潜(モグ)り込む
のではなく
一旦
非ユートピア(地獄とは限りません)で
罪滅(ホロ)ぼしの行状(ギョウジョウ)に
精励(セイレイ)してほしい
というのが偽らざる現時点(令和7年3月)
での感想となります(´-ω-`)
古今東西
放(ホウ)っておくと
悪行(アクギョウ)をのさばらせ
魔軍がはびこる
そういう現実社会を軽視し
気前よくフリーパスのごとき扱いで
本当に構わないのでしょうか
個人的には
腑(フ)に落ちず疑念アリ
といわざるを得ないのです
(*‘ω‘ *)
なーお
極悪人の中で
ユートピアへのパスポートを
手中にできるのは
心底悔い改めてる改心のヒトだけ
だとして
「誰」が
内省改心の度合いの判断をして
パスポート発行を許可するのか
との疑義を残すといけないので
補足しておくと
その指摘は
杞憂(キユウ)にすぎません
自身の罪深さを後悔し
贖(ショク)罪の気持ちにまで
至ったか
罪の償(ツグナ)いよりも
神仏の慈愛加護にあやかる
保身まがいの邪心(ジャシン)
を抱いているか
どうかは当の本人が誰よりも
分かっており
ゴマカしようがない
ですから(-_-)
というコトは
ここで
留意すべきなのは
邪心を抱く輩(ヤカラ)は
ユートピアへのパスポートを
手中にできませんよ
とハッキリ
宣言してあげるコト
コレです(^.^)
そろそろ
全体の脈絡(ミャクラク)を踏まえて
まとめに入ると
三世(過去世・現世・来世)を通じて
肝要(カンヨウ)なのは
現世における当人の
生きざまと
死にざま(ケリのつけ方)
なんだと捉えてます
(#^^#)
ここまで掘り起こしたので
もうひと掘り
独見(夢想)イイですかぁ
例えば
二人殺害した悪人(当人)
を例にすると
応報に基づく贖罪の趣旨から
殺人の被害者たる宿業(シュクゴウ)を背負い
つまり2回殺されるコトを覚悟しながら
来世を2回繰り返します
その2回の間に当人が改心した場合
改心の時点で
前世の宿業(罪業)が消滅するほか
天寿を全うする際
当人がユートピア行きを望むならば
(因果の遮断が前提)
もちろん
改心により消え失せた罪業は考慮外
とした上
当人に関するそれまでの生きざまに基づき
審判により結果が下(クダ)るのです
ユートピア行きを許可しない
結果のとき
同時に
何らかの課題(業)も示されているため
当人はその業を宿(ヤド)して
来世に生まれ変わります
続いて
来世が2回繰り返す間に
当人が改心に至らず邪心が残る
すなわち
宿業のままに
2回目の殺人の被害者になった場合
その時点で
当人がユートピア行きを希望すれば
審判を経るなどして
前同様の進行になる
ものの
審判の結果はどうみても
厳しくなりそう(-_-)
念押ししておきまーす
以上の内容は
もとより
突飛(トッピ)な夢想の域を
出てませんけーど
どうですぅ
そんなに違和感ないでしょ……?
(#^.^#)
そろそろ
話を戻して
前出のエピソード(人身事故)が
死亡事故なのか
そうだとして自死なのか
否かは定かでありません
死生観モドキを語るに当たり
その糸口・きっかけになってくれた
にすぎないので”(-“”-)”
あとネ
ゴッチャにされると
不本意なので
あえて付言すれば
自分の場合
因果を遮断せず
来世も自身の命を使い切りたい
と望んでます
言い直せば
現世において
過去世の宿業を低減・滅却し
自身の奥底に
パラダイスを構築する
のが本望なのです
(*´ω`*)
ふーーぅ
扱ったネタがかなり重めだし
それなりに
ヒートアップしたためか
さすがに
疲労感が残りました
(コレも自業自得の因果でしょ)
ありがたーい
労(ネギラ)いのコトバとして
受けとめよーっと(*´ω`*)
往生際が悪い
どうしても
舌足らず(不成仏)感が残ってしまい
往生際が悪いかもと承知しつつ
「真」(本質論)を踏まえながら
「悪」の補足をしたくなりました
(´・_・`)
(調子乗って出血大サービスやってると
秘匿(ひとく)を勧める世阿弥が怒るぞぉ)
超ザックリ触れますから( ˘ω˘ )
ではでは
いきますよーっ(^_-)
諸事万端・万物は
自称「大いにあるモノ」を母体として
生起します
一方
悪(魔軍・サタン)の実体を考えるに
「大いなるモノ」との対立軸として
独立する魔王のようなモノを観念する
というよりも
あくまで
諸事万端・万物に付随する形で現れる
(例えば人体への悪性腫瘍のごとき)にすぎない
と捉えてます
続いて
悪魔の特性をみると
時の経過に従い
生起した万物は劣化・消滅を免れず
生命体も老化・死滅が必然
であるところ
そのネガティブな現象・感情に
悪魔が取りつき
しまいには
当の現象・感情に係るヒトに対し
のりうつったかのように影響力を持ちます
そして
秩序から無秩序への変遷(セン)が
事象の理(コトワリ)であるように
手つかずだと
悪魔が「はびこり」「のさばる」
のは前出のとおり(-.-)
しかも
永久不滅・不老不死が実現されないと
悪魔の憑依(ヒョウイ)は回避できないため
人類(知的生命体)の平和繁栄を
確保するには
できるだけ
悪魔を封じ込めるシステム(仕組み)
の構築が不可欠なのです(^.^)
注)もしかすると
永久不滅・不老不死が実現されても
悪魔が付いて回るのは変わらないかも
だって
今度は退屈・ヒマを持て余して
刺激・過激さを求めるようになり
そこに悪の付け入る隙(スキ)が生じ得る
からです(-_-)
なーんか
ハナ息が荒くなってきたので
この辺にしておきますけど
とどのつまり
万物創成以来
悪魔との対峙・闘争が
重要なテーマとなる中で
現実社会において
必要以上に
「悪」を許容・助長するような
主張・思想・政策に対しては
森羅万象(シンラバンショウ)
に関する理(本質)への理解が
不足ぎみ
というほかありません
(・・;)
(超ザックリって言わなかったぁ
約束違反もれっきとした
「悪」の兆候(チョウコウ)だぞ(-“-))
だったら
悪態(アクタイ)まがいをのたまう
貴方(アナタ)も同格というコトで(*´ω`*)
追記2
練習風景も格別!
動画共有配信サービスを使うと
どんどん
徳島阿波踊りの関連動画が
レコメンドされてきます
注)阿波踊りのアタマに
「徳島」がついてるところ
阿波踊りって
至る所に「連」があり
その連所属に係る
阿波踊りの地域振興を目指す協会
が存在するのです
それで
大変に申し訳ないと思いつつ
ハッキリ言ってしまうと
徳島以外の阿波踊りには
関心が向きません(._.)
仕事の関係で
過去に赴任した際
阿波踊りを通じ
忘れ難い
思い出を刻んだから
と整理中です(‘;’)
そんな中で
最近(令和7年5月)沼っているのが
各連の練習風景(‘;’)
老若男女(ロウニャクナンニョ)
を問わず
多数の連員が
おそろいのトレーナー(Tシャツ)
ふぞろいのズボンを着用した上
踊りの型やフォーメーション
といった基本を確認するのが
主なモノ(^^)
(前に白状済みの
「スネが見えてドキッとする」
わけでもないのに
どうしてヌマってるワケ?)
ウ~~ン
告白するのって
ちょっと勇気がいるかも
(なにをモッタイぶってんのぉ)
それじゃあ
言っちゃおーかな
それは
ユサユサ感
でーす(^^;
(踊るんだから
カラダが揺れるのは当然でしょ)
だ・か・ら
そのユッサユサの様子に
見とれてしまうのぉ
(エーッと……)
幸(サイワ)いにも
その方面の感性が
8歳レベルで止まってる
みたいですネ
(それってホメられてる?)
もちろーん!
注)やーったぁ
幻聴くん
この方面の話には
興味関心がないらしいので
今後
安心して語っていけそう(^^)/
あとあと
余計なお世話かも
ですけーど
練習着であっても
はたまた
時節柄
暑苦しくなっている
とはいえ
女性陣が短パン姿で
生足(ナマアシ)を晒(サラ)すのは
いただけません
せっかく商品化に値する
スネ部分が
無用の露出によって
見慣れてしまい
本番向けの宣伝効果や商品価値を
減殺(ゲンサイ)するおそれが大
だからです(-_-)
阿波踊りの自称オールドファンからの
注進(チュウシン)でした
(●^o^●)
※ホーム画面にもどる!
