【生活・運動】昭和(戦後)の終焉がついに……

  1. 有る袖振らない
  2. 巨星墜つ
    1. V9時代
      1. 初の天覧試合
      2. デビュー戦
    2. 記録でみる
    3. 記憶でみる
  3. 己明けに向けて
    1. 監督時代
      1. シーズン最終決戦
      2. 史上最大の逆転劇
      3. 非情の必勝
    2. 監督退任後の晩年
    3. 生まれ変わるなら
    4. 永久に不滅
      1. スーパースター
      2. 愛弟子
    5. 最期まで燃える男
  4. 敵に塩を送る
  5. 追記1
    1. 不滅のベストナイン
  6. 追記2
    1. お別れの会

有る袖振らない

コレまで
他の記事で何度も触れてるごとく

相当数の下書き保存記事が
まだかまだか
と出番待ちの状態(‘ω’)




ところで

無い袖(は)振れない


つまりは

この場合
やりたくてもできない
わけですけど

有る袖(を)振らない


すなわち

できるのにやらない
ようにするのも


意外に
シンドいもんです
(*´ω`*)




対して

外野席からは

との指摘を受けそうですけど


あえてそうしない理由は
別稿に譲りまーす(^_^;)

(そうくるんだ(-“-))


さーてと

今回は

当記事の内容性質はもとより

その他種々(シュジュ)の事情に
鑑(カンガ)み


当ブログ史上

最もダンチ(段違い)なゴボウ抜きリリース
と相なりました
( ^)o(^ )




ここで
ウラ話をさせてもらうと

当初は

既存記事に「追記」をして済ませる
つもりでしたけど


作成が進むにつれ

と手ごたえを感じ始め

最終的には
1万字の大台を優(ユウ)に超えてます
(*’ω’*)




内容的にも
分量的にも

追記扱いでは
スワりの悪さが残るため

急きょ
単体独立でリリースする
コトに決定(^^)



続いて

サムネイルに使うフリー画像を
チェックすると

ラッキーにも

当記事にピッタリな画像が目にとまり
つつがなく入手してます



もともと

一端(イッパシ)の記事に
仕上がればそれで十分

と出来(質)の高さは必要以上に
望んでなかったものの


いざ書き上げてみれば
その完成の度合いにビックリ(´ω`)


感触として
クリーンナップの4番をまかせても
イイかも……



(始まったぁ
お得意の自画自賛(-“-))


エぇ~ッ


瞬間
その衝撃が脳天(ノウテン)に走り

いまだ
余震(ヨシン)が体中にくすぶってます



地震が起きた
わけではありません

昨晩(令和7年6月3日)のニュースで
長嶋茂雄氏の訃報(享年89)に接した
のです(同日6時39分肺炎で永眠)





昭和(戦後)期の流行語の中に

があったところ



注)大相撲の横綱・大鵬(タイホウ)は
優勝32回(1971年1月場所)という
前人未到の記録を打ち立てましたが


その後

横綱・白鳳(ハクホウ)が33回目の優勝
(2015年1月場所)で塗り替え

最終的に
45回(2021年7月場所)の最多記録を樹立してます


また

鶏卵(ケイラン)については

高度経済成長により物価が急上昇する中

昭和から令和に至るまで
物価変動にほぼ左右されない
優等生扱い

なのです(^.^)


長嶋氏をして

巨人軍(プロ野球)の枠を超え
国民的ヒーローと評する理由を

こってり
たっぷり

お届けしよーッと(・o・)


読売巨人軍が

1965年から1973年までの
9年間連続して

プロ野球日本シリーズを制覇した
V9時代


ON砲で日本中を席巻(セッケン)し
「チョーさん」「ワンちゃん」
のニックネーム(愛称)で敬愛されたのが

長嶋選手

「世界の王」たる王貞治選手
(通算ホームラン868本は世界記録)

の二人(^^)


注)V9達成当時の戦友同胞である
ベストナイン(敬称略)は

1番・センター・柴田勲(イサオ)
(盗塁王6回はリーグ最多)

2番・セカンド・土井正三(ショウゾウ)
(玄人好みのいぶし銀)

3番・ファースト・王
4番・サード・長嶋

5番・レフト・高田繁(シゲル)
(走攻守を兼備)

6番・ライト・末次利光(トシミツ)
(勝負師)

7番・ショート・黒江透修(ユキノブ)
(職人芸)

8番・キャッチャー・森昌彦(旧名)
(頭脳派で調整型)

9番・ピッチャー・堀内恒夫(ツネオ)
(リーグ最高勝率3回)


たーだ

個人的には
テレビ中継を通じて

2番高田
5番末次
6番黒江
7番土井

のイメージが強いためか
このオーダーがシックリきます


そして

今回

長嶋氏が
人生劇場の現役も
退きました


振り返ってみると

やーっぱ

外せないのは
1959年6月25日阪神戦

すなわち


先発投手を救援リリーフした相手投手は
阪神エースの村山実(ミノル)選手(当時新人)
(戦後唯一のシーズン防御率
0点台(0.98)を達成)



注)あとあと

忘れてはいけない
ライバル投手は

同じく阪神エースで活躍した
江夏豊(ユタカ)選手で決まり

(シーズン401奪三振は世界記録
ほかにエピソードとして
「オールスター9連続奪三振」
「江夏の21球」)

念のため
補足しておくと

オールスターの投球回数は
3回までの制限があるため
9三振が最大ですから



長嶋氏の造語(和製英語)による

を地(じ)で行ってます
( ^ω^ )



試合をサクッと通覧すると

五回に長嶋選手が同点ソロ(本塁打)
七回に王選手(当時新人)が同点2ラン(同上)

4対4で迎えた九回裏
先頭打者は長嶋選手


夜9時を回り席を立たれた陛下が
皇居に戻る予定時刻の3分前

ミラクルが起こります

村山投手の5投目

やや高めで見送ればボールになる球を
上から被せるように打ち返して
満員のレフトスタンドに突き刺さり

サヨナラホームランで
劇的な幕切れとなったのです


帽子を取った陛下も
ロイヤルボックスから
身を乗り出して拍手をされました



こうした光景に
日本中の野球ファン(勤労戦士ら)が
感激感動したのはいうまでもありません


長嶋選手を時代のヒーローとして
決定づけました(^.^)



あえて
言い直します


戦後10年以上が経過する中


背中をもうひと押しされて
弾(ハズ)み勢(イキオ)いを付けたい
ところで

このミラクルのホームランが
大衆のココロを直撃し

戦後日本を奮い立たせ
その成長に拍車をかけたのです



こうした舞台が整ったコト自体

と称し得る上



その機会をしっかり
モノにする


が光りまくり(^-^)




この観点で
更に話を展開すれば

不動の3番・4番を組んだ
王氏とのアベックホームランが
史上最多の106回(‘ω’)


注)念のため
解説すると

アベックホームランとは

選手二人が各本塁打を

連続した打順打席で打つ
コトではなく

一つの試合中に打つコトです


この数値だけだと

どんだけスゴいか
ピンとこないといけないので

次順位のペアを示して比較すると

広島の

ミスター赤ヘルこと山本浩二選手
(大卒で500本塁打達成は唯一)

哲人と呼ばれた衣笠祥雄(サチオ)選手
(連続試合出場日本記録・世界2位)

によるアベックホームランが86回


継ぎ足せば

強靭(キョウジン)不動の二枚看板を要するため

新手(アラテ)の後続ペアによる
記録更新はおそらく
不可能と予測します(´-ω-`)


注)86本だってモノ凄(スゴ)いのに

106本って
何をかいわんや

でしょ(#^^#)



もう承知されてるとおり

初の天覧試合がON砲の記念すべき1回目
となりました



ついでに触れると

皇室が出席され
長嶋選手が出場した全10試合
での成績は

打率.514
7本塁打
10打点

と周囲の期待に応えており
その集中力・対応力には脱帽(‘;’)



注)勝負強さとは

つまるところ

集中力と
技術に裏付けられた対応力によって
言い換えが可能

と捉えてます



あとあーと

もう一つ
挙げるとすれば

個人的には
入団した1958年のデビュー戦ですネ



(当時)国鉄の金田正一(マサイチ)投手

(日本球界金字塔400勝・通算4490奪三振
後に巨人入り
ほか14年連続「20勝以上」「200奪三振以上」
「300イニング以上」も不滅の日本記録)

を相手に4打席連続三振で終わってます
(^-^)



注)念のため触れておけば

金田投手との通算対戦成績(打率)は
3割を超えてます


あーと

新人1年目にして
川上哲治氏(愛称「打撃の神様」)から
4番を譲り受け

この年の成績は

本塁打29本と92打点で
リーグの本塁打王と打点王の2冠を獲得

さらに
打率.305と盗塁37個は各リーグ2位

みてのとおり
3冠王も狙えたんです

まさに
適応力が高いっていうか
天才肌ですネ


なおなお

スイングが思い切りよく
豪快なため

空振り後に
ヘルメットが飛んでしまう
コトがめずらしくありません

サービス精神が旺盛なのです
(#^^#)


注)この脈絡でいうと

例えば

「このピッチャーは打てないな」という場合

わざわざ
大き目のヘルメットを被(カブ)ったり
したそうです(^.^)

どこまでいっても
ショーマンでした
(・o・)


それと

サムネイル画像って
「撮(ト)り人知らず」
だそうです

現役を引退する1974年の
8月16日ヤクルト戦(後楽園球場)
までは分かってるものの

撮影者は不明とのコト



思い切りのよさとの関連で
特技の「悪球打ち」を挙げておきます

長嶋氏曰(イワ)く

なんか
クスッと笑えるでしょ(^^)



注)ついでにもう一つ
長嶋選手の持論を紹介すれば

バットの届く範囲の球は打てる

とのコト

長嶋選手にかかると
悪球も「好球」に変わってしまう
ようです

というか

かえって
ド真ん中が苦手だった
との話もあるくらい……(^^;)


ちなみーに

現役時代
「安打製造機」「努力の天才」と称され
日米通算4367安打の世界記録を持つ
イチロー氏(年間262安打もメジャー最高記録)は

亡き長嶋氏に対し
次のようなコメントをしてます

理屈ではなく
フィーリングでプレーする方
天才とはこういう選手のコトを言う……



悪球打ちの点
勝負強さにも通じると捉えてます


素人なりの一家言(イッカゲン)示しても
イイですかぁ


勝負強いって

いい換えれば

周囲の期待に応えてくれる
というコト



そして

期待に100%応えるなんて
ムリに決まってますが

少しでもその確率を高める工夫をする
のが一流のプロ根性というモノ



でネ

対戦相手が存在する勝負事で
確率(勝率)を高めるには

のが鉄則



上記の点を
打者の目線で具体的にみれば

自身のストライクゾーンを広げる

つまりは

ストライクからボールにそれていく
対戦投手のキメ球を打ち返す
技術(対応力)をみがく



ここで
留意すべきなのは

ストライクからボールにそれる球を
ストライクとみるかボールとするか

主審次第となる
不確かさのリスクを解消するため

見極める選球眼を養うよりも

勝気(カチキ)に打って出る
姿勢が肝心



なお

見逃し三振って

ミスター的には
あり得ません(..)


以上が悪球打ちの極意
と心得ます



ミスターは

本能的なモノなのか
意識してのモノなのか

必ずしも定かでない
ですけれど
(前者っぽいイメージですが……)

対応力(確率)を高めていた
というコト

かと(^^)




誰がみたって
長嶋選手のコトを

「もってる」
スター性十分な演者(エンジャ)だ
と分かります



加えて

愛嬌があり
嫌味がないのです


注)プロ1年目の公式戦で一塁を踏み忘れて
幻のホームランになったとか

練習中
チームメイトのバットを無断借用して折ったとか
仲間の衣類で自身のスパイクをミガいたなど

オチャめっぷりに
コト欠きません


「記録」でみた場合


長嶋氏を上回る選手を挙げるのって
難しくないですけど


プロ17年間の記録が
超一流の域なのは間違いなく

その主な内容は次のとおりです



2000本安打と400本塁打の同時達成は
大卒だと日本球界初

通算打率.305
通算安打2471本
444本塁打

首位打者6回はセ・リーグ最多
本塁打王2回
打点王5回
MVP5回
ベストナイン17回
(リーグ不動の名三塁手と理解できます)

公式戦・日本シリーズ・オールスター
全てで通算打率3割以上達成は
日本球界でただ一人



それから

ある対談における
長嶋選手のコメントによると


攻撃(バッティング)よりも
守備(サード)のほうがスキ
らしいです

理由は
抜かれそうになるのを捕球する
醍醐味にあるとのコト


サードなのに

わざわざ出張(デバ)って
セカンドゴロになる球を捕った
経験が2回ある

とも告白してます

あとですネ

内角攻めに苦手意識が強い
長嶋選手の天敵は

カミソリシュートの異名を取る
(当時)大洋の平松政次(まさじ)投手でした



その上

監督としては

リーグ優勝5回
日本一2回


同じく巨人の監督だった
前記川上氏は

リーグ優勝11回
日本一11回

つまり
日本シリーズ負け知らずです


名監督と評され
西武の黄金期を築いた
前記森氏は

リーグ優勝8回
日本一6回


視点を変え
今度は「記憶」でみると


前出のエピソードのほか

1974年後楽園球場での引退セレモニー

我が巨人軍は永久に不滅です

がココロのアルバムに
刻まれており


文句なしでチョーさんがピカイチ
他の追随を許しません(個人評)


注)事前に用意した原稿では
「永久に」ではなく
「永遠に」だったそうです




若者ないし大衆に
夢と希望と勇気を与え続け

巨人軍ひいては日本球界の
巨星(きょせい)になった
長嶋氏


確かにプライベートでは
いろいろあったかもとはいえ

ぜーんぶ
ひっくるめて
巨星に値します
(*´ω`*)


注)「ミスタープロ野球」
というズッシリ重い看板を
高らかに掲げて

野球はもちろんのコト
昭和(戦後)という時代をも
牽引(ケンイン)してきました


いうまでもなく

プロ野球ファンの中には
アンチ巨人もいますが


例えば

あの熱烈阪神ファンであっても
巨人は嫌いだけど長嶋はスキ
というヒトが少なくなかったはず(-.-)


なーお

英語混じりの独特な口調と

擬音を駆使したキャッチ―な
ワードセンスは

無二無三(ムサン)の存在
(・ω・)



そして

とうとう
その野球人生の幕引きに……
(・_・)



パチパチパチ
お疲れさまでした


注)数ある語録の中には

「長嶋茂雄」を続けるのはシンドいですよ

とのホンネ語りもあったり……



御冥福をお祈りします
_(._.)_


注)故人が亡くなって49日間が明ける日
を「己明(キア)け」といいます



長嶋氏逝去(セイキョ)に触れた際

即刻
記事を発しようと思ったのは
ヤマヤマですけど


ヘソ曲りの性分からなのか

故人が亡くなって7日目の法要である
初七日(ショナヌカ又はショナノカ)までは

野球ファン
特にシニア世代が

長嶋氏をしのび
その功績や生きざまを振り返る
にちがいない



であれば

自分は

むしろ

己明けの法要である
四十九日(シジュウクニチ)
に追悼(ツイトウ)・哀悼(アイトウ)しよう

と決めたのです
(・_・)



注)四十九日の数え方は

一部の地域を除き

故人が亡くなった命日を1日目とし
そこから49日目です


例えば

1月1日が命日なら
49日目は2月18日となります


長嶋氏の場合

命日である6月3日から
49日目の7月21日が四十九日です



1958年入団から1974年退団までの
現役時代(17年間)にばかり
注目してきましたけーど


実際のところ

1975年~1980年
1993年~2001年

の2期合計13年くらい
監督業をこなしてます



せっかくですから

監督時代のエピソードにも
触れてイイですかぁ


1994年10月8日

勝率が同じ首位同士の巨人と中日が
シーズン最終戦で

セ・リーグ優勝をかけて
激突します


もちろん

こんなハラハラドキドキの
試合(メークドラマ)は
空前絶後!

※以下で登場選手は敬称略



巨人が

槇原寛己(ヒロミ)
(平成で唯一の完全試合達成)

斎藤雅樹
(シーズン11連続完投勝利は日本記録)

桑田真澄(マスミ)
(ゴールデングラブ賞8回)

の先発三本柱を継投(ケイトウ)させ


4番落合博満(ヒロミツ)
(リーグ三冠王3回は日本球界最多
個人的推しは大谷選手の二刀流に
当初から好意的姿勢を示した
「選球眼」ですネ)

3番松井秀喜(ヒデキ)
(ヤンキースで主力打者として活躍)

に各ソロホームランが飛び出すなどし

6対3で逃げ切ります


試合終了と同時に
長嶋氏の胴上げが始まり

皆ボロボロ男泣き(・・;)


この感動たるや

ホント
一生モンです



注)テレビ中継の視聴率は
プロ野球史上最高の48.8%でした


次に待ち構える日本シリーズは
チームとして完成された西武が相手


下馬評は西武断然有利
だったところ

シリーズ初戦の前日

ミーティングの場で
長嶋監督が予告(予言)します

勝つのは我々だ!
1勝1敗で敵地に乗り込み
第5戦で王手をかけて
4勝2敗で日本一になる!!


フタを開ければ

モノの見事に予言が的中し
4勝2敗で念願の日本一に(^.^)

「長嶋マジック」の炸裂(サクレツ)
でーす(^-^)


注)シーズン最終戦で先発したときは
イマイチだった槇原投手

でもでも

日本シリーズでは
第2戦・第6戦を先発し
完投勝利で飾り大活躍(‘;’)



続いて
もう一つ

1996年

一時期
首位を走る広島に11.5ゲーム差をつけられた
巨人の長嶋監督は

「メークドラマ」を口癖にしながら
周囲を「長嶋マジック」に乗せ

プロ野球史上最大となるゲーム差
からの逆転劇でリーグ優勝し

メークドラマが実演再現されました
( ^ω^ )



なおなーお
残念ながら

日本シリーズは
オリックス相手に1勝4敗で
終わってます(..)



注)現役時代のほろ苦いデビュー戦
同様に

監督時代も
就任した1975年は

70敗を重ねて
球団史上初の最下位に沈みました
(。-_-。)


サプライズとして

その当時
チーム再建のため

巨人から阪神の江夏投手に
白羽(シラハ)の矢(トレード話)
が立ったみたい

立ち消えたのは
残念無念でなりません
(´-ω-`)


もっとも

当時の大型補強が功を奏してます

(当時)南海から移籍した張本勲選手
(安打数3000本超は日本球界唯一
長打力も具有)は

トレード後も大活躍(^.^)


大型補強といえば

1997年に清原和博選手
(西武入りから13年連続20本塁打以上は日本記録)
も西武から獲得してます(^^)



ついでに

第二次監督時代の采配に
「?」がつく
エピソードも挙げておくと


ブルペンで
誰も投球準備をしていないのに
投手を交代させようとしたり

トイレの個室で
用を足してる選手を
代打に送ろうとしたとか

いまなら
思わず吹き出して終わりですけど


当時は

フロントサイドから
モノ言いモドキがついた

らしいです(..)



現場監督は
常に臨戦態勢にある
のだから

せっかちさも含め
分かってあげましょ(^-^)


ところで

若手の育成よりも
非情の必勝を背負う巨人軍の監督



その中

長嶋監督は

必勝巨人に返り咲くため

1979年オフに伝説となった
「地獄の伊東キャンプ」を敢行(カンコウ)し


注)このキャンプ(参加者選抜)には

公式戦36回連続無安打無得点がプロ・アマを通じ不倒の記録
となってる「昭和の怪物」こと江川卓(スグル)投手
(作新学院時代を含む全盛期のホップボールは国士無双)

ミスターの肝入りで入団し見事期待に応えた
篠塚和典選手(首位打者2回)
(当時強豪校だった銚子商業時代に作新学院との練習試合で
江川投手に27打席中24三振を食らった
と述懐(ジュッカイ)してます)

といった若手中堅の成長有力株が結集



テコ入れによって
その後の土台を作り上げましたが

「勘(カン)ピューター采配」と
揶揄(ヤユ)され

一旦
監督を辞任するコトに……(..)




この関連で寄り道をすれば


将棋好きだった長嶋氏は

現役終盤と引退後の二度にわたり

当時棋界トップに君臨していた
中原誠十六世名人と

二枚落ち(飛車・角なし)で対局した
経験がありますけど



中原氏は
この対戦を振り返りながら

決して
「勘ピューター」ではなかった
と述べてます



そしてですネぇ


中原氏には

現在も大切に飾っている
一枚の色紙があるんです

長嶋氏から受け取ったモノ
とのコト



注)蛇足ですが

捕手で活躍した野村克也氏
(ベストナイン19回選出は歴代最多)によれば

(ほかに選手と監督両方で各通算3000試合出場は
日本球史で唯一)

長嶋氏をして

一流の選手と十分認めつつ

監督としての力量評価は
一貫して辛口(+_+)




それから

「必勝」の点を
長嶋監督がコダワッた意味合いって
分かります?


当時は

今のように
娯楽が多様でヒトそれぞれ違う
わけではなかったので

巨人軍が試合に負けると
多くのファンがガッカリし

その気分が日常生活にも尾を引いて
士気に影響していたんですよぉ


だから

ファン心理を大事にし
裏切らないようにするため

勝ちにコダワり
非情に徹した

とみてます(^^)



以上のような系譜(ケイフ)の中で

バトンを託された若大将たる
原辰徳(タツノリ)選手


注)1994年9月7日の横浜戦
0対0で迎えた7回1死

通算1000試合以上4番を務めた
実績があり

当時も6番で打率.286の原選手に対し
打率1割台の選手が代打起用されてます

こうした「屈辱の代打」を経るなどしても
揺るがない師弟関係に超絶リスペクト!


切り込み隊長の
中畑清(キヨシ)選手

らの生え抜きもしっかり育ち

巨人の屋代骨(ヤタイボネ)を
支えてます



注)ところで

今回の緊急報道後
ネット上の記事をみていたら

某動画配信チャンネルが
令和7年6月13日~20日の番組で行った
インタビューを掲載しており

その内容は

同チャンネルが扱うゲーム内において
全12球団から往年の選手1名だけ選出し
ベストナインを組む下準備があり

ゲーム設計に関与した選考者は
迷いに迷った末

阪神から掛布雅之選手(サード)
(本塁打王2回でタイガース不動の4番)
を選ぶ関係で

巨人からは泣く泣く
サードがかぶる長嶋選手ではなく
ファーストの王選手を選んだ

というモノでした


選考者が巨人以外の関係者なら
殊更(コトサラ)
違和感はなかったものの

その選考者が巨人OB

加えて
長嶋監督下で代表格の選手だった
ためもあって

そもそも

12球団から1名選出の設計自体に
ムリがあるんじゃなーい

と思った次第(´・_・`)


巨人主力OBである以上

ON砲は日本球界の至宝である
(ONの分断は悪手)

との認識を共有しているはずですから

選手の選定自体は長嶋氏の逝去以前に
済んでいたとしても

インタビュー時の言動では
自身の立場と時節をわきまえてほしかった
です(*‘ω‘ *)



念を押させてください

の二枚看板を切り離すなんて

に匹敵します
から(・_・)


さてさて

長嶋氏に対し

場がパーッと明るくなる
天真(テンシン)的なムードメーカー

イイ意味で自由奔放とのイメージ
が強すぎて

暗部(アンブ)的な内容に触れるのを
はばかってました(..)




でもでーも

このまま触れずじまいなのは

後記のとおり
最期まで燃える男の勇姿を示そうとした
長嶋氏の意にそわないかも

と考え方を改めた次第です
(。-_-。)


注)ウラ事情を白状すると

必要の都度
内容を継ぎ足してきたところ

キリのイイ1万文字がチラつき始めたのに
肝心の懐(フトコロ)具合はネタ切れ状態(+_+)


ギリギリまで迷った末

温存(?)していたカードを切って
当「小見出し」を挿入するコトに……(・_・;)




巨人軍監督を勇退した
翌2002年

アテネ五輪出場を目指す野球日本チームの
代表監督に就任(‘_’)



ところがです

五輪開催まで半年後に迫った
2004年3月4日

長嶋氏が脳梗塞で倒れて入院(-_-)

利き手を含む右半身麻痺と
言語障害が残り

代表監督代理として
中畑氏が指揮を執りました
( ^)o(^ )


注)アテネ五輪の結果は
優勝の金メダルには一歩及ばず
3位の銅メダルに(・o・)



入院以降

週4回
1日2時間以上
のトレーニングに励み

歩行や筋力回復を目指す格闘に
挑(イド)みます



そして

後遺症が残る中で
転機が……


2013年
東京五輪の招致が決定し

長嶋氏は

その開会式に聖火ランナーとして
自身の足で立つコト


を目標に掲げる
のです


そのため
歩行訓練(格闘)を再開し

ついに
その念願が叶う時(トキ)が到来(´ω`)



2021年7月23日20時以降

長嶋氏は聖火ランナーとして
王氏と松井氏に支えられながら
開会式に立ったのです



本来なら2020年開催のはず
だったところ

コロナ禍のため1年延期された点が
長嶋氏の「運」に向き

「時」が見方をしています
(^-^)


ヤバーい
ヒートアップ感がハンパないので

この辺でムリやり
シメさせてもらいますが


最後にもう一度

長嶋氏を悼(イタ)み
しのばせてください


テレビの緊急特番で放映されていた
生前の長嶋氏へのインタビュー



どうですぅ

チョーさん
らしいでしょ(´ω`)



注)自分の場合
一点の曇りもなく
不可(..)

〇〇〇〇(自身の氏名)のコトは
もちろん大スキですけど

生き方を
もう一度やり直すのは

マジで
ゴメン被(コウム)りたいです
(#^.^#)



すみません

最後のさいごに
もーちょっとだけ(;^ω^)


ワンちゃんこと王氏をはじめ
既出の諸兄(ショケイ)も

想いは同じ



注)長嶋氏と「ゆかり」があるのに

こちらの都合で
掲記できなかった方々

ホント
申し訳ありません
_(._.)_




何度も
ゴメンなさい(+_+)

コレで
最後×3にします(._.)


エピローグに向けての流れを
ひっくり返すようで
心苦しいですけど


長嶋氏の想いを察すると

日本の誇る
世界的スーパースターと

愛(マナ)弟子

とのエピソードに触れざる
を得ません( ^ω^ )


令和7年3月15日

ドジャーズの日本開幕戦直前

長嶋氏は東京ドームで
久々に大谷翔平選手と再会



長嶋氏が大谷選手と最初に会ったのは
2016年12月8日
某スポーツ新聞主催の対談です

その際
長嶋氏から

旨の話があり



上記東京ドームで再会してから
長嶋氏没後の6月15日「父の日」

大谷選手は

本塁打を2本打って
メジャー通算250号となりました



試合後

大谷選手曰く

続いて

愛弟子たる
松井氏とのエピソードです


注)改めて
ミスターが手塩にかけた
ゴジラこと松井選手の凄さの片鱗に触れておけば

生涯ホームラン507本のうち

推定飛距離160m(1998年オールスター戦名古屋ドーム)は日本人2位
東京ドームでの看板直撃弾9本(140m超)
ほかに120m超の割合が68.9%

といわれており

まさに
怪獣並みのスラッガー
との称号がピッタリ(^_-)-☆


なおなお

日米通算打率も .293(日.304と米.282)
と高値で安定してます



4番の松井選手がチャンスで凡退し
ベンチで下を向いていたところ

長嶋監督がグラウンドを向きながら
語りかけます


グラウンドに限らず
将としての心構えに通じる内容(^.^)


注)極力
前を向くよう
意識するのは

テレビカメラが狙ってます
から(・・;)




ついでに
もう一つ(^^;)


亡くなる前夜

病床(ビョウショウ)の長嶋氏の携帯電話に
着信があります

米ニューヨーク在住の松井氏
からの電話です



長嶋氏は

松井氏の声を聞いた後

ムリの利かない身である
にもかかわらず

ベッドから起き上がろうと
試みたとのコト



さらに

脈拍と血圧の数値がゼロ
になってからも

モニター表示が上下動を繰り返した
ようです


そろそろ
フィナーレにしますが


注)ハーイ
お察しのとおり!

「最後」を3回も用いたので
シレっとヨコ文字に言い換えました(^.^)

と思ってます(^_-)



既出のとおり

最後にミスターと正式に会った野球選手が
世界的スーパースターたる大谷選手

最後にミスターに語りかけた野球関係者が
愛弟子の松井氏



周囲がウラで手を回したのかどうか
定かでないものの

いずれにせよ

ミスターの強く熱い想いがベースなのは
間違いありません

運命的なモノを感じます
(・ω・)




それでは
お時間となりました




注)記録・記憶に刻まれた
燃える男の戦果を挙げておきます

①単(一塁)打で二塁を狙って
アウトが13回

②二塁打の際三塁を狙って
アウトが7回

③ホームスチールに6回挑戦し
2回成功

④ランニングホームラン通算3回
(日本記録が5回)


僭越(センエツ)と承知しつつも
大変光栄に思いながら

なんとか
追悼記事を書き終えました
(#^.^#)



とはいっても

筆力(ヒツリョク)が追いつかず

ミスターの魅力を書き尽くすのは
所詮(ショセン)ムリムリ
と思い知るコトに……(..)



ところで

ヒトそれぞれ
贔屓(ヒイキ)の球団チームがある
ごとく

アンチ〇〇が存在しても当然
と受けとめてます



加えて

競い合うモノ・コトである
ならば

相手(ライバル)がいてこそ
互いに成長発展を期待できる

のはいうまでもありません



ただですよぉ

その成長発展を持続させるには
踏まえないといけないがある
と捉えてます



せっかくなので

この点を
掘り下げてみよーっと(;^ω^)



例えば

川中島の合戦で有名な
武田信玄と上杉謙信の両雄は

宿命のライバルとして

国(領地)の存亡を賭けた死闘を
重ねてますけど


注)川中島にて
1553年~64年の間に5回対戦し

特に
第4次合戦(1561年)では両雄の一騎打ち
の場面がありました



信玄は最期の折(オリ)に
世継ぎの勝頼に対し

告げてます



慎重で思慮深い信玄が
上記コトバをあえて言い残したのは

次のような背景があるから
との見立てです


つまりは

信玄が塩不足で困窮しているのを知った
謙信は

との信念から

わざわざ「敵に塩を送る」との
逸話が残っており


信玄は
謙信の義のココロに感服した
と推察してます


注)念のため
「義」「善」の関係性をザックリみておけば

「善」は個人的側面から
善意善行を捉える場合(狭義)

「義」はより広く全体的側面から
善意善行を捉える場合

と一応区別が可能(*´ω`*)



要するに

両雄の根底には
相互に尊重し合う念が横たわっている
わけです(・ω・)




どうですぅ

互いの成長発展のためには

アンチの存在が必要なのは確か
ですけーど


「勝てば官軍」的な考え方(勝ちぶり)だと
長くは続かないはず(‘;’)


たとえ
食うか食われるかの世界
だとしても


弱肉強食の論理を
必要以上に追い求めると

真っ当な人間社会のありようからは
ドンドン遠のく

と心得てます
(・_・)




あれェ
なにを話したかったんだっけ?


そうそう

という話……で……した
(#^.^#)



※当記事に対する反響・拡散は
望んでいません

念のため(・o・)


追記1

舌の根も乾(カワ)かないうちに
追記をしたくなりました(..)



生前のミスターが
個人的にベストナインを示していた
点に鑑(カンガ)み

現時点(令和7年7月下旬)での
専(モッパ)ら自己チューによる
打順を含むベストナインを明かします

選手らはそれぞれピーク時を
念頭に置くものです(敬称略)



1番 ライト イチロー
2番 指名打者 大谷翔平
3番 ファースト 王貞治
4番 サード 長嶋茂雄
5番 センター 松井秀喜
6番 キャッチャー 野村克也
7番 レフト 山本浩二
8番 ショート 広岡達朗(タツロウ)
   (堅実な守備と御意見番的存在)
9番 セカンド 高木守道(モリミチ)
   (華麗な守備のミスタードラゴンズ)

欠番 ピッチャー 金田正一


もう
ゾクゾクするオーダー
でしょ( ^ω^ )



なーお

ミスター自身は

サードに中西太(フトシ)
(豪打と俊足の「怪童」と呼ばれる)

を選出してます
(#^.^#)


追記2

令和7年11月21日(金)
東京ドームにて

ミスタープロ野球こと
長嶋茂雄氏との「お別れの会」が
執り行われました(´ω`)



多くは触れませんけれど

祭壇に飾られた
微笑みかける
ミスターの遺影に接し


立場は違えど

各位が
気持ちを新たにされた
に違いありません(´-ω-`)



それと

選考の困難さを容易に予想できる
ものの


今回創設された
「長嶋茂雄賞」の栄(ハ)えある
最初の受賞者が誰になるか

いまから
楽しみです
( ^ω^ )




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投稿者: toshi0227(トシ・オウ・トウ・トウ・セブン)

都内マイホーム、妻子持ち、シニア層男性。O型・サソリ座。モットー「いまが一番!ここが一番!」。スローガン「時空を超えろ!」。趣味はテニス・ゴルフ・油絵等。定年退職後に、社会との接点を確保して認知機能の低下を防ぎ、健康長寿を目指すべく、遅きに失した感はあるものの、平成3年元日から、思い切って「ユル・ヤワ」に「T.H.BLOG」を始めてみました。大海原を航海中ですが、よろしくお願いします。 ブログの公開表示名「toshi0227」は「トシ・オウ・トウ・トウ・セブン」と読みまーす(^^) スタエフ(音声配信)・エックス・インスタ・スレッズもやってます(^<^)

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