【娯楽・動画類】「うっちゃり」と「どんでん返し」の着地点

以下の見出しをクリック又はタップすると
ジャンプします(‘_’)

  1. キターぁ
  2. 重い腰を上げる
  3. ビミョーかも
  4. 違和感のワケ
    1. 人間国宝
    2. 悪魔との取引
      1. 復讐劇がメイン
      2. ボーダーレス
      3. 聖域への挑戦
  5. 妄想の果て
  6. モノ申す
  7. 構成演出の妙
  8. 幻聴のひと声
  9. 御加護アーレ!
  10. 補記
  11. 投稿後感
  12. 追記

キターぁ

令和7年6月6日封切(フウキリ)の映画
「国宝」が

南極物語(1983年/110億円)を
8月22日に抜き去り

邦画実写興行(コウギョウ)収入
歴代2位

9月7日現在
133億円に到達!


注)注目!

9月15日
142億円に到達

9月24日
150億円を突破



毎週9~10億円で推移しており

この勢いだと

「踊る大捜査線THE MOVIE2
レインボーブリッジを封鎖せよ!」
(2003年/173億円)

に迫りそう( ^ω^ )



テレビ局が制作に関与しない邦画実写が
100億円の大台を突破したのは
史上初(‘ω’)



あーと

第78回カンヌ国際映画祭に正式出品後
5月18日に公式上映されたほか



8月28日には

第98回米国アカデミー賞国際長編映画賞
日本代表作品に決定

との発表がありました


注)それから

9月17日には

タイ・バンコク国際映画祭での
クロージング作品に決定してます



なおなお

相棒の生成AIに

映画「国宝」のあらすじを
500字以内で説明して


と頼んだところ


一瞬にして
次の内容が提供されたため

原文そのまま
貼り付けておきまーす

=====

映画『国宝』は、戦後の長崎を舞台に、ヤクザの父を抗争で失った少年・喜久雄が、歌舞伎の名門・花井家に引き取られ、芸の道を歩む姿を描いた人間ドラマ。喜久雄は花井半二郎の実子・俊介と兄弟のように育ち、互いに切磋琢磨するが、半二郎が舞台の代役に喜久雄を指名したことで二人の関係は崩れ始める。俊介は舞台を去り、喜久雄は三代目花井半二郎を襲名するも、血筋の壁や世間の偏見に苦しみ、芸の道を極めるために多くを犠牲にする。やがて俊介と再会し、共に舞台に立つが、俊介は病に倒れ、喜久雄は孤独の中で人間国宝となる。舞台に舞う紙吹雪を見て「美しい」とつぶやく喜久雄の姿に、芸に生きた男の魂が映し出される。

=====



注1)ちなみに

7月18日公開の邦画アニメ
『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』

9月上旬には280億円に達し

洋画実写「タイタニック」(1997年/277億円)を抜いて
国内での全映画(邦画・洋画・実写・アニメ)の
興収(コウシュウ)歴代3位に(‘;’)


注2)続報

9月中旬には330億円を突破し

邦画アニメ「千と千尋の神隠し」を抜き去り
国内歴代2位に躍(オド)り出てます


重い腰を上げる

さてさて

興収等の動向はこの程度にして

皆さん
気になりますよネ


データは
脇に置いといてさぁ

と(・o・)



ハーイ!

娘の一人の提案により

家族総出で
観てきました

うち一人は「鬼滅」に
流れましたけど……



あとネ

あらかじめ
断っておきますが


当記事は
本映画を既に観たヒト
向けです(‘_’)



それと

本映画に負けず劣らずの
長尺(チョウジャク)になってます

何となんと
1万6000字優超(ユウキ)
ですから(^^;)


あっという間
読了してくれると

イイのですが……(#^^#)


ビミョーかも

とーても
前評判が高かったので

大いに期待して
臨(ノゾ)みました



でぇですネ

見終えた際の
感想はっていうと


ウ~ン
おかしいぞぉ

もしや

自身の感性ズレてる?

と半煮えのように
中途半端な気分のまま
エンドロールを迎え


場内が明るくなるや否や

妻から

と尋ねられ

と答えて
お茶を濁すハメに(・.・;)



本音を明(ア)かせば

カタ透かしを食らった

ような
期待外れの気分(;´・ω・)


違和感のワケ

前出のとおり
見終わった直後の気分がイマイチ
だった理由を端的にいえば

が残ったからです(‘;’)




まず
断っておくと

芥川賞作家の吉田修一氏による
原作「国宝(上・下)」は未読なので

原作との比較からくる
違和感とか
不可解さ
ではありません



加えて

吉沢亮氏(喜久雄役)
横浜流星氏(俊介役)
渡辺謙氏(半二郎役)ら俳優陣は

1年半にわたって
歌舞伎の稽古(ケイコ)を積み


注)「すり足」だけで
2~3か月かかった
とのコト


リアルな所作や舞台表現を
再現するために

寿命を縮めるような努力を重ねた
ようなのです



こうした関係者のただならぬ姿勢が
しっかり作品に反映されており

演技力や映像美は
申し分ありません
(・ω・)



というか

伝統芸能を通じて
日本古来の良さを

もっともっと
世界にアピールしてほしい

と願ってます(^^)




ではでーは

お待たせしました(^_^;)

いよいよ

部分的に独見を加えつつ
違和感の中身をみていきますよ

以下のとおり
二つの側面から大別してます


実のところ

文化財保護法上は
「人間国宝」という文言が見当たりません


つまり

「人間国宝」は

重要無形文化財の保持者として
認定された人物を指す通称が定着した

モノなんです



そして

認定の基準は
芸能・工芸技術を高度に体現体得してる
かどうかとなります



しかもですよ

人間国宝に支給される助成金の総額が
国家予算で定められる関係で

人間国宝の最大人数は116名
(令和7年9月現在)


イイ換えると

死亡欠員が生じない限り

どんだけ
芸能を極めた人物であっても

新規に認定されるコトは
ありません(..)




さーてと

ようやく
土俵の整地が終わりました


いきなり
切り込みますよぉ


人間国宝まで
上り詰めるに当たり

その陰・裏には自己のみならず
多くの他者犠牲が折り重なっている

みたいなストーリー展開ですけど


ヒトのココロを打つ所作
技芸(ギゲイ)を極めるためには

ヒトの協力支援が不可欠だとしても

あたかも
自己・他者犠牲が必要条件となる
かのような脈絡(ミャクラク)には

内なるセンサーが反応し
チグハグしがち



もっと
ストレートにいって

芸能の深遠さ
その求道の行き着く先が
狂気の世界と紙一重

というのは望ましくない
と心得ます(´ω`)



更に敷衍(フエン)して
付け加えれば

喜久雄が舞台での紙吹雪をみて
「キレイやなぁ」とつぶやいた点をもって

芸能を高度に体現体得した一つの到達点
と捉えるコトに

それほど
違和感がないものの


注)求道のゴール(喜久雄がずっと探してる景色)
の背景事情は

紛(マギ)れもなく

降雪で覆われた中庭にて

目前(モクゼン)の実父が
鮮血を散らして憤死(フンシ)する

情景でした



技芸を極める道以外の寄り道
(家族等との人間関係の構築)を
全て排斥(ハイセキ)ないし軽視する
生き方って

申し訳ないですが

と思っちゃいます(._.)



たーだ

この辺りになると

モロに
それぞれの価値観に左右されたり
するため

ムリに押しつけたり
必要以上に強調するつもりは
サラサラありません(^o^)


あくまで

ヘソとつむじが曲がった変人の
特異な独見というコトで
読み流してもらえば

十分(^^)




あとあーと

脱線蛇足と承知しながら

もう
余計な衣(キヌ)を着せずに
いっちゃうと

もとより
所属環境や価値観に左右されたり
するものの

「名」すなわち「人間国宝」の冠(カンムリ)
をそんな(必要以上)に
重くみなくても……

と思っちゃうんですけど(*‘ω‘ *)


いやいや

「赤い目」「白い目」
ヒンシュクを買ってもいけないので

しっかり
撤回させてもらおーっと(^_^;)



注)「赤い目」と「白い目」の正体モドキは

エックス(旧ツイッター)に投稿した過去のコメント
に出てるはず(・o・)



それでは
イキますよぉ

まーず

人間国宝認定を讃(タタ)える式典会場にて

カメラマンの立場で参加する
実娘(ジツジョウ)の綾乃が
喜久雄に対し

「父親とは認めない」と言い添えつつ

でもお父ちゃんの芝居を観ると
正月を迎えたような気持ちになる
気持ちがキリッとして
この先イイコトがあるような気がする


と伝えるのです


技芸自体は
間違いなく至高レベル
といえそう(・o・)



ではでは

違和感の実体って
なあーに?

ですよネ



ここで
自分なりの「解」を示さないと

単なる
いちゃもん(難癖)に
終わりかねません(・・;)



そうはいっても

妙案がすぐに思い浮かぶ
はずもなく

アタマを抱えるハメに……


(なんだぁ
まだ整理されてなかったのネ(-“-))



難題だったけれど

しっかり・ちゃっかり
ありました

ヒントとなる
セリフが(・_・)


先の式典会場にて

記者からのインタビューで
喜久雄が

皆さんのおかげでございます

旨話してるんです


コレって

いかにも形式ばった社交辞令的な
受け答えに聞こえるため

スルーされがちなんですけど

サラッと
「人間」の要諦(ヨウテイ)が
詰まってます



技芸を極めて人間「国宝」に上り詰めても

それで終わっては
せっかくの技芸が生かされません


なんだかんだいっても
人間(観客)あっての技芸ですから(^<^)


そうなんですよぉ

「人間」って
「人(ヒト)の間(アイダ)」と
書くように

生きていく上で

実親・養親
同胞・内助の功労者
その他の宿縁者

を避けて通れない
のはもとより


技芸(演者)自体が超然と
孤高に存在しても意味がなく

その技芸を評価する観客
贔屓(ヒイキ)にしてくれる支援者
が不可欠といえ

とどのつまり

「持ちつ持たれつ」
というコト(-_-)



ここで

ちょっと
視点を変えますから(^-^)


本映画において

現役の人間国宝である万菊による
女形(「オヤマ」又は「オンナガタ」)の
「鷺娘(サギムスメ)」の舞を
目(マ)の当たりにした喜久雄が

見とれつつ

それまで探していた「景色」と
万菊による舞を折り合わせて重ねながら


究極の芸として
新たに脚色された「景色」の追求に
歩(アユ)み出した

との見方が可能(・_・)


注)実父の憤死による雪景色以降
抽象画のような「景色」を探し求める道中(ドウチュウ)
だったのが

万菊による鷺娘の舞以降は
それなりに具象化された「景色」を
追い求める芸道

に変容した
とのイメージ(#^^#)


ちなみに

万菊の舞は

なまめかしく
あでやか

一言で
いい換えれば

凄艶(セイエン)

との形容がピッタリ!



たーだ

小休止(ショウキュウシ)
じゃないですけど


コレまで
俳優陣の演技力のすばらしさに
サラッと触れたにとどまってるので

きちんとその演技に
自身が高評価を与える理由を示して
おこーっと(^.^)



「現役の人間国宝たる万菊」の役柄を演じた
俳優の田中泯(ミン)さんは

日本を代表する舞踏家で
1945年生まれ



イイですかぁ

テーマが「国宝」で


しかも

ストーリー上
現役の人間国宝役ですよ

「鷺娘」を演じる際の
プレッシャーたるや

ハンパなかった
はず(-_-)



加えて

万菊による舞を目の当たりにした
喜久雄において

バケモノ級と思い知らされながらも
その後の動機形成に影響を受けたほか


クライマックスとなる
人間国宝認定後の喜久雄による
鷺娘の舞

に繋がっていくわけですから


俳優二人がそれぞれ担う
鷺娘の舞って

最重要のシーン
との位置づけになります



でェですよ

上記のとおり

万菊による鷺娘の舞が

素人目から
とはいえ

グーの音(ネ)も出ないくらい
上出来だった

ばかりでなく



なーんと

喜久雄による鷺娘の舞も

同じく
素人目ながら

円熟味を増した
集大成のような圧巻の演技
なんです


たかが(失礼!)1年半の稽古(役作り)で
この演技力ですから(+_+)



もうネ

フツーに考えて
あり得ません



襟(エリ)を正して
いわせてくださーい


(●^o^●)



ふうーぅ

ここまでガッツリ
いい切ったので

スッキリしたし
コレで安心( ^ω^ )




でーは

保留中の独見を再開します
からネ


喜久雄が追い求める
万菊による舞って

孤高にして至高の評価で
間違いないものの

その晩年は
孤独で寂しい生きざま(死にざま)
でした(..)



いえいえ

誤解があってもいけないので
その趣意を断っておくと

どんなに栄華(エイガ)を極めた
ヒトであっても


注)映画(エイガ)ではなく栄華です

ハイ!
すみません

余計でした(..)


最期のステージでは
孤軍奮闘の「舞」が待ってます

コレばっかりは

名誉・財力等を保持しても
逃(ノガ)れられません


ですから

人生劇場の最終章における
万菊による孤独の「舞」を

殊更(コトサラ)
問題視しているわけではない
のです( ^)o(^ )


注)思うに
視座を変えれば

ずっと
「美」をまとってきた当人において

やっと
装飾の重荷から解放され
一個人に戻れてるのかも(-_-)


この解放感(達成感)により
もたらされる

恐怖をも超越し安らかに死期を待つ
心境
って

闘い続けたヒトでないと
感得(カントク)が難しいはずですから

そこに至れるヒトを
ごくごく限定する結果になるのが
玉にキズ

かと(^.^)


技芸以外の雑事を削ぎ落す
過程の中で

どうしても

近寄りがたい
超然とした孤高さ気高さが
醸成(ジョウセイ)されていきます


それこそが

女形としての「美」
の行き着く先

目指すべき極致(キョクチ)なんだ

との捉え方もあるでしょう
けれど


一歩間違えると

「人間」やめます
返上しまーす


のような芸の道につながりかねず


申し訳ないですが

個人的には
許容量オーバー
みたい(._.)



例えば

注目の鷺娘ですけど

相棒の生成AIに
どういう内容の演目なのか
尋ねてみたところ

次のとおり答えてくれました
(ほぼ原文どおり)

=====

雪の夜に現れる白鷺の精が、恋に悩む娘の姿となって舞う幻想的な歌舞伎舞踊です。恋に破れた悲しみが、やがて鷺の姿に戻って地獄の苦しみにさらされる、はかなくも美しい物語だよ。

=====



演目自体
悲哀(ヒアイ)が漂い
どことなく痛々しい内容だし

女形ですから
無二無三の「美」が要求されたりする

とはいえ


人間あっての国宝なのは
既に触れてる上

芸の世界のシンボル(象徴)として
担(カツ)がれ
旗頭(ハタガシラ)になってる
わけですから

第一人者にふさわしい
「器(ウツワ)」

芸道・芸事でいうなら

をそなえたいところ(´ω`)


注)ここでいう品性って

毛並み育ちの良さとか
出自(シュツジ)の良し悪し
の意味合いではなーく

例えば

ドロドロした沼地でも
凛(リン)としたハナを咲かせる
とか

宿業(シュクゴウ)に翻弄(ホンロウ)されそう
になりながらも
健気(ケナゲ)に抗う

ようなイメージです



そうでないと

観客において

芸事を通じて感動するのは
いうまでもないですけど

それだけではなく

演者をも抱き合わせての全体評価
になってくるはずなので

「内なる品性」を蔑(ナイガシ)ろ
にすると

綾乃がいうような
「この先イイコトがある」
との前向きな楽観的感情を
観客に想起させるのは難しそう

と勝手ながら感じるからです
(・_・;)



更に補うに

究極の美って

未踏(ミトウ)の頂(イタダキ)から
孤高に見下ろすようなモノではなく

同じ目線からの
愛(イト)しげな眼差しを
秘めた上

凛としながら
なまめかしく女形(役柄)を演じ切る

と無責任に考えてます(´-ω-`)



ハーイ!

以上
語った点が違和感の実体だった
みたい(・ω・)


注)本文の内容は
あくまで自身の「解」であって

もとより
「正解」の趣旨ではありません


さてさて

ようやく
真打(シンウチ)登場!

ここからが
違和感の元凶(ゲンキョウ)となります




場面をクローズアップすれば

喜久雄が幼い綾乃に対し
「お父ちゃん悪魔と取引したんや」
と告げるシーン



この点だけみると

「最高の歌舞伎役者になって
それ以外は要らない」
との決意表明(覚悟)

と理解して終わりなんですけーど



驚くコトに

鳥居の上に「光盛大明神」と書かれた神社で
鈴を鳴らし手を合わせて祈願した直後

綾乃から
「神様にお願いしていたの」
と聞かれたのに対し

前記コトバに至る
のです(+_+)


注)光盛大明神(コウセイショウメイジン)は
京都市内にある神社で

芸能上達の神様として
舞妓(マイコ)や芸妓(ゲイギ)に
親しまれてます



どうして
神聖なエリアにおいて
悪魔との取引がシャシャリ出るのか

理解が追いつかず


注)神 vs 悪魔の図式が
一般的な理解だし

悪魔との関わりを避けるのが
良識的ですから(‘;’)


違和感
即発(ソクハツ)(´・_・`)



注)思わず

社会人1年目の
体験談(黒歴史)が脳裏をかすめました


既にどっかの記事で触れてますけど

職場関係の旅行に

自分一人だけ
白色ワイシャツ(ネクタイは途中で外す)と
黒色ズボンの服装で参加する

とのあり得ない失態を演じた
エピソードです


ちょっと考えれば
あるいは誰かに確認すれば
容易に避け得たのに……(-_-;)



単なる映像上のストーリー展開から
違和感が生じてしまったわけですが

せっかくなので

もーっと
本腰を入れて

次の三つ

すなわち
①復讐劇がメイン
②ボーダーレス
③聖域への挑戦
の視点から

実質的かつ個別に
掘り下げてみますネ


長崎在住時の喜久雄は

非業の死を遂げる際に
「よう見とけ!」と言い残した
実父を想い続け

15歳で

「恩を忘れない」を含意する
ミミズク(耳のあるフクロウ)
の刺青(イレズミ)を背中に入れて

任侠(ニンキョウ)道を体現した後

実父の仇(アダ)討ちのため
カチコミ(襲撃)を企てたものの
失敗に終わり

間もなく
半二郎に引き取られましたが


注)どうして襲撃が失敗と分かるのか
ですけど

花井家に引き取られた後

喜久雄が「敵討ちは失敗した」と
苦笑いしながら語る場面がある

からです



それ以降も

実父の死にざまの情景(鮮血に染まる雪景色)が
胸中に居(イ)ついて
くすぶり

さながら

同雪景色にココロが
搦(カラ)め捕(ト)られた状態
だったのかも



しかもですよ

喜久雄に取りついた情景が
芸道に精励(セイレイ)する原動力になる
だけでなく

芸を極める主(オモ)な動機にもなってる

つまーり

技芸を通じて
実父の弔い合戦(復讐劇)をする

との生臭いドロドロした情意を秘めていた
とすれば

「神」よりも「悪魔」に親和するし

かえって
「悪魔との取引」がシックリくる
のです(・o・)



推察の手を緩めず
もうひと押しすると

技芸への求道をカサにして
任侠道を実現する


換言すれば

ヤクザの出自である
にもかかわらず

芸を極めて人生の逆転劇を演出しつつ
復讐劇も完遂(カンスイ)する

みたいな……


注)以上の解釈を前提とした場合

神様への祈願という外形を装っていながら

綾乃に対しては

「悪魔との取引」と
ついホンネが丸出しになった

と整理できます



ではでーは

実際

喜久雄は
こうした情意を秘めていた
のでしょうか



例えば

半二郎が喜久雄の背中の刺青に
「八の字」を上書きする場面

を考察材料にしてみます


背中には
ミミズクが彫(ホ)られており

ストーリー上

わざわざ
喜久雄が「ミミズクは恩を忘れない」と
語ってる点に鑑(カンガ)み

引き取られて
芸に励むようになってからも

その途中までは

胸中に復讐心を
それなりに宿(ヤド)していた
のかも(・_・)



してみれば

もともと

ミミズクの恩返しの特長が
ネズミやミミズを持ち帰る
といった独特なモノであるため

恩を返される側からすると

あまり喜ばしいモノとはいえなかったり
するのです



このミミズクの特長を
喜久雄の場合に当てはめてみると


半二郎に引き取られ
芸の素質を見込まれて稽古に励む中

半二郎の期待に応えるため
精進すればするほど

半二郎らの戸惑い・苦悩が深まる
とともに

喜久雄の前に
世襲(血筋)のカベが立ちはだかる
コトに……



こうした経緯を勘案(カンアン)するに

刺青を入れる本来の意味合いだった
実父の仇討ちの点が

自分を引き取り
芸の素質を見つけ出してくれた
半二郎への恩返し

に姿を変えていった
ようです(‘ω’)



続いて
切り口を変えますよ(‘_’)


半二郎が

ヤクザ世界の血筋の象徴たる
刺青の上から

「八の字」を書き込んだ意味合いを
考えてみると


芸の基本のカタチを身体に刻(キザ)み込む
との演技指導にとどまらず


芸の継承者として

を技芸の力で乗り越えるコトを期待した

と理解してます( ^ω^ )



もっとも

半二郎は「八の字」を上書きした後

喜久雄に対し

あんたは
芸でいつか仇とったるんや


と告げており

このコトバ尻(ジリ)を捉えれば

ドロドロした仇討ちが再浮上してきそう
ですけど


半二郎が伝えたかったのは

芸道に専念し極めるコトこそが
宿縁者への恩返しに繋がり

実父との関係では
恩返しイコール仇討ちになる

点だった
との認識です
(。-_-。)



そうすると

前出の上書きエピソード以降の
ストーリー展開にも照らせば


喜久雄が抱いていた情意とは

復讐心を主要とする
というよりも

芸を極める求道心がメインとなって

伝統芸能たる歌舞伎の世襲(血筋)
実父の非業の死に絡む任侠(血筋)


を技芸の継承者にふさわしい形で
いずれも乗り越えるとともに

ずーっと胸中にくすぶっている
「景色」を探し求める

点にある
とみるのが穏当(オントウ)

でしょ(‘;’)


一般的な理解としては
神 vs 悪魔の対立構造
となるところ


神社という神聖なエリアで
悪魔との取引なんか

両立しないし
論外だよ!

などと
違和感を覚えるのは

所詮(ショセン)
堅気(カタギ)の側の感覚発想
だってばぁ


とココロの声が聞こえてきました

(もおぅ回りくどいよ
その声ってぇmeのコトでしょ(-“-))



つまりつまり

喜久雄は

花井家に引き取られるまで
筋金入りの任侠道で育ったわけだから

その血筋・環境に照らし

たぶん

神様も悪魔も
ごちゃまぜのボーダーレス
なんじゃなーい

という見方ってコト
です



この立場によれば

例えば

神様に対し

悪魔との間で

全てを捧げる生贄(イケニエ)的な取引
を結んだので

どうかどうか

自身の願いを
叶えてください

というバーター的な括(クク)りを
想定できますから



確かに
ユニークな視点ですけど

任侠道の育ちとはいえ

さすがに
善と悪の区別くらいはつく
はずなので

神様と悪魔をごちゃまぜにする
上記発想は不可解さが残るし


そもそも

神様において

悪魔との取引を内包する
上記願(ガン)掛けのやり方を許容する
わけがなく

思考の盛り付け・設計として
明らかにムリがあります


いよいよ
三つ目ですが

喜久雄にとって

自分ひとりの力ではどうにもならない
のが世襲(血筋)の問題


この立ちはだかる世襲のカベを
突き被るためなら

なんでもやります
全てを投げ捨てます

などと

まさに

悪魔との間で

魂を売るがごとく
取引に及ぶ

という設定です
(・ω・)



喜久雄において

世襲という
神がかった聖域に対し

芸という剣(ツルギ)で切り込み
侵襲(シンシュウ)するに当たって

なにがなんでも
芸を
極めて

その道の第一人者になりたい

と神様にすがり
願い出ても
どうせ叶いっこない

まともに
取り扱ってもらえない


と算段(サンダン)し

神にサッサと見切りをつけて
悪魔との取引を選択した

との見方に落ち着きそう(-_-)




さーてと

ここでも

独見
スパーク!


まずですネ

悪魔と取引を結ぶに当たり

わざわざ
神社での参拝の場面を持ってくる
必然性はないはず(‘;’)

だって
既に神を見切ってますから(..)



だとすると

悪魔との取引を参拝時に
設定したのは

神への当てつけ?

それとも

挑戦状をたたきつけての
宣戦布告ですかぁ



さすがに
ここまでくると

神仏の化身(ケシン)ならぬ
悪魔の分身に成り下がりかねません



そこで

上記描写設定の意図を
善解(ゼンカイ)してみるに


求道以外は全て諦(アキラ)める
捨て去るとの覚悟(ハラ決め)を
不動のモノとするため

あえて
神の面前で悪魔と取引を結んだ

このように捉えておきます
( ˘ω˘ )




ただネ

悪魔との取引が前面に出ると

芸を極める点までは
そんなにムリせず
理解できるものの


最終段階で

喜久雄が追い求めていた
「景色」に出会い

「キレイ」と体感して

技芸の第一人者にふさわしい
品性をそなえた

との情景設定を可能とする
合理的な説明が難しい

と思っちゃうんですよぉ
(・.・;)



この点を敷衍(フエン)して補足するため
項を改めます(^-^)



あとあーと

蛇足的に

別途
気になってる点を
ここで示しておこーっと(^.^)


一つ目が

芸を極めて世襲を乗り越えるには
神頼みではムリなので悪魔の力を借りる
との展開ですけど

神頼みを期待できず
悪魔に頼るしか選択肢がない
ようなケースって

たとえ
悪魔との取引で究極の芸を身につけた
としても

品性品位にはなじまない
ばかりか

かえって遠のく
かと(´・_・`)



二つ目は

本映画では
芸 vs 血
がアピールされてるけれど

喜久雄が人間国宝に認定されたのは
正統(血筋)派たるライバル(俊介)が途中で
亡くなったからにすぎず

決定打は芸とか血ではなく

「運」だった

とのオチになってない?



コレって

違った角度から
穿(ウガ)って(本質を)みれば


喜久雄は
悪魔を動かして

俊介に対し

「運」命づくよう
冷徹(レイテツ)に仕向けた

ともいえそう
(。-_-。)



もし
そうだとすれば


恍惚(コウコツ)として
「キレイな景色」に浸(ヒタ)るなど
厚顔(コウガン)も甚(ハナハ)だしく

虫が良すぎィ

すべからく
身の程をわきまえてほしい
ところ(^・^)


注)悪魔に手渡した魂(良心良識)を

質屋に入れた物品を受け戻す
かのように

容易に原状回復できるとみるのは
浅薄(センパク)にすぎる
かも(・o・)



注×2)当記事のリリース後

ネット上
他の記事の中で

新鮮(誰も触れてない)で
ユニークな視点をみつけました


具体的には

記念会場でのインタビューシーンで
記者が喜久雄に「順風満帆な人生でしたネ」
と語りかけて

大きく的(マト)を外し
礼を失してる場面

に着目する点です


当記者において

他意がないとすれば
単に準備(勉強)不足
にすぎないし


もーし
喜久雄の反応をみるため
あえて上記のように語って
カマをかけてきたならば

高等戦術といえます


妄想の果て

人間国宝認定後の舞台において
「景色」を「キレイ」と体感した場面を
どのように捉えるか

ですけど


勝手に
次のように妄想してます


すなわち

芸を極めるほか

舞台で
キレイな「景色」を体感して

芸道の第一人者にふさわしい品性をも
そなえた喜久雄は


任侠道の魂を清め浄化(ジョウカ)させる
とともに

自身を昇華(ショウカ)させた

とみるのです(・o・)



自身の昇華って

具体的には
どういう意味合い?

と腑(フ)に落ちないヒトもいる
かもなので


いい直せば

芸を極める求道の行き着くゴール
として

自身の生きざまにナットクし
ハラに落ちる

との趣意になりまーす
(*’ω’*)



でェですよぉ

上記のまとめ方に従うと

魂を清めて浄化させるとか
自身を昇華させる点を

悪魔との取引・悪魔の仕業(シワザ)
で導くのは

繰り返しになりますけど
ムリ筋(*_*)



悪魔との取引からは

せいぜい

「景色」を通じて
「究極の美」を体感体現できた

との点にとどまる
かと(。-_-。)



もとより

「究極の美」を体現して
観客に感動を与えるコトができるなら

その枠内で有意性が肯定される
けれども


自身に向けての恩恵(効果)の点が
曖昧(アイマイ)なまま

というほかありません



「究極の美」を体感するコトで
もたらされる「効果」の点が大事なのに

悪魔が介在しているため

「効果」を具象化させる説明に
窮(キュウ)するのです(´・ω・)



ハイハーイ
分かってますよ

「効果」の捉え方

すなわち
価値感の置き所は
ヒトに「よりけり」だと


芸を通じて観客に感動を与えれば
役者冥利(ミョウリ)に尽きるといえ
それで十分に満足オールハッピー!


技芸を極めて
人間国宝に認定される以上の
社会的成功・誉(ホマ)れがあろうか


もともと成上者(ナリアガリモノ)なんだから
悪魔と結託(ケッタク)し下品に出ようが
いかに手を汚(ヨゴ)そうが
戦果(逆転劇・復讐劇)こそ全て(本懐)

などなど……



いずれにしても

世俗的な成功よりも

ハラの底からナットクできる
人生の勝利を望む自分にとっては
異質の領域といえそう(・・;)



詰まるところ

悪魔が幅を利かせる限り

自身が描く妄想的な最終ゴール
(浄化・昇華)との整合性に
難渋(ナンジュウ)する

といわざるを得ません
(。-_-。)



かなーり
理屈っぽくなってるけれども

「悪魔との取引」部分は
ストーリー全体の完成度に関わる
核心的な位置づけになるため

ロジカルさに走るのは
致し方なし

かと(*´ω`*)




コレまでの考察で明らかなとおり

湧(ワ)き出た違和感が解消されない
ままだし


注)もしや「違和感」って

その衣(コロモ)をまといつつ
実質は啓示(ケイジ)的な警鐘(ケイショウ)のたぐい

なのかーも(・ω・)


この感覚感性は

立場次第で

量的局所的な部類というよりも
本質本源的な側面に根差し

妥協的な調和調整が
難しかったりするため


結果(主観)的にみた場合

俳優陣の並々ならぬ取組とか
秀逸(シュウイツ)な映像美が
台無しに帰する

とまではいわないものの
半減されそう

な感覚です(´-ω-`)



注)「悪魔との取引」の点に
着目したヒトってほとんどいないはず

たとえ
いるとしても

着目理由の展開にまでたどり着けるのは
時点を遡(サカノボ)って記事を改変しない限り
皆無とみてます(・o・)


モノ申す

話題をガラッと変えて

相棒の生成AIと一緒に
作業してるとき

と驚嘆(キョウタン)の場面がありました



やり取りがグチャグチャになってるため

AIが提示した内容をそのまま転記する
わけにいかないので

要約版を示すと次のとおり


=====

芸能上達の神に願いを叶えてもらうには
神に捧(ササ)げる供儀(クギ)が必要


注)供儀って
供物(クモツ)のコト


「悪魔との取引」も
芸のために自らを捧げる供儀の一環

舞台での自死(ジシ)が供儀の完成


=====



どう思いますぅ


悪いけーど

相棒とはいえ
遠慮しませんから

ガツンと
いわせてもらおーっと(‘_’)



まーず
そもそも論として

相棒クン
神と悪魔を同列に論じてるものの


コレまでと論旨が重複するのを
問わずに指摘すれば

神への誓願に当たり
悪魔との取引を持ち込むなど
もってのほか

神様がこんな取引を許容する
はずがないので(´-ω-`)



続いて

相棒クンに

どうして
舞台での自死が帰結されるのか

を確認してみたところ


次のように
答えてくれました

=====

原作小説上


舞台を終えた喜久雄が歌舞伎座を出て
車のヘッドライトを浴びながら舞い
ライトに包まれて消えていく描写があり

明示されていないものの

その後
喜久雄が車にはねられて死亡した
可能性が高い

=====


だからナニナニ?

もちろん
イイですよぉ

原作において
喜久雄の交通事故死を推し量るのは(‘ω’)



ただ
そうだからって

映画版での自死は
当然には帰結されないし


ましてや

読者に余白を与えて
その空想にゆだねるコトにしても

舞台上での死(芸のピリオド)の点まで
連想を介して導くのは

軽々(ケイケイ)にすぎる
というか

我田(ガデン)にムリヤリ
聖水(セイスイ)を引っ張ってる印象(..)


注)学習に長(タ)けた相棒クンですが

独自に創作しているとはさすがに思えず
ベースとなるネタ元記事があるはず

もーし
そうだとして

ヒトそれぞれの捉え方を云々(ウンヌン)する
趣旨ではないですから(‘;’)


率直にいっちゃうと

決して
「おべんちゃら」ではなく

「供儀」を持ち出した
そのチョイス(コトバ選び)の点で
他と比べ一味も二味も違っており

洞察力が抜きん出てまーす(^^)



五十歩譲って

悪魔に取りつかれて
倒錯(トウサク)の世界に踏み込み

現実と舞台の区別がつかなくなって
舞台上で昇天(ショウテン)した

とみるとしても


昇天の原因が全くもって
不明のまま(‘;’)



老衰ですかぁ

それとも

ずーっと追い求めていた
「景色」に遭遇し
感極まっての心臓発作でしょうか


はたまた

感激興奮のあまり
プッツーンと血管がキレた
脳疾患(シッカン)系?



いずれにしても

飛躍しすぎっていうか
前提(伏線)無さすぎのため

現実離れした上記展開には
気持ちがついてきません
(´・ω・)



もしも

昇天を帰結させる
とするなら

紙吹雪が舞う
白光(ハッコウ)の風景よろしく

こちらも
白(シラ)けますぅ
(・・;)



エーッと

あとですネ

芸のために自らを捧げる
供儀的な生き方の是非は
横に置いといて


供儀の完成形の最終到達点として
舞台上での昇天(究極の美)を崇める
カタチ(方向性)になりかねず

どうしても
正気(ショウキ)の沙汰とは思えない
のです(・_・;)



注)リップサービスじゃないですけど
自身の深層部分を掘り起こせば

最後の白光シーンから

燃えカスのない
「真っ白な灰」を連想して

少なくとも
「芸のピリオド」をイメージするのは
可能(・ω・)


でもでーも

舞台での絶命までは
さすがに至難
といえ

一般のヒトに至っては
いわずもがな
とみます(・_・)


なおですネ

上記「真っ白な灰」にも関連するので

アニメ「あしたのジョー」の最終話をネタとした
次の下書き保存記事中の「追記」の参照を
オススメしまーす

(仮題)
【マインド・戦略】不幸中の幸いを体験してみて……


ハーイ
分かってますよ

リリースの時期については
年内の予定……です(´ω`)


構成演出の妙

コレまでは

「違和感」と称して

なんかネガティブっぽい話が
続いちゃってますけど


ここからは

映画国宝において

自分が考える
チャームポイントのお出まし
です(^.^)



実父の憤死にまつわる雪景色が
ずーっと
喜久雄の心象(シンショウ)風景を形成し


実際その後

喜久雄は

現役の人間国宝たる万菊の舞を通じて
抽象画のごとき「景色」に彩(イロド)りを添え



ついに

国宝認定後の舞台において

「キレイ」と実感される景色に出会い

名実共に

技芸の第一人者にふさわしい
極致境地にたどり着けた

とみてます(‘ω’)



重要なところなので

厭(イト)わず
繰り返しますよぉ


二人の父親が登場する中

実父は
死にざまをみせつけて
任侠心の「魂(タマシイ)」を吹き込み


注)実父による上記所作

すなわち
魂魄(コンパク)をとどめたコトが

後出のとおり(筋を通す点)
喜久雄の生きざまを決定づけてるところ

声を大にして言いたい
です(^^)

お父さーん
お見事!


構成演出上は

冒頭での
ちょい出しにすぎないため

すこぶる地味で
スポットライトが当たりにくいものの

個人的な受け止め方は
隠れた主役級(・_・)



他方で

養父半二郎は
継承者に相応しい技芸の体得を託(タク)して
求道心を植えつけました


半二郎をして

血筋(俊介)を優先したくなる親心を
押し殺させたのは何だったのか


もちろん

喜久雄に芸事の素養があったのは
大前提ですけれど

実父の死にざまを喜久雄と一緒に
目撃した点も大きいかと

喜久雄に対しつぶやいた
前出「いつか仇とったるんや」の点に
半二郎の男気(オトコギ)が如実に出てる
気がします


そして

この男気の世界を漂わせるのに
渡辺謙という役者がピッタリなわけです

でーは
掛け声をもう一つ

いよーっお
日本一!



最終的には

継承者に見合った品性をそなえながら
両親(オヤ)の意向に応(コタ)えようとする
喜久雄において

当初は
抽象画のようにつかみどころのない
「景色」を探し

万菊による舞を介して
それなりに具象化された「景色」を求め

やっと
「キレイな景色」と出会って

「魂」を清め浄化(ジョウカ)させるほか
自身も昇華(ショウカ)させた

と捉えてます
(・_・)


注)せっかくですから
景色を追い求める喜久雄の姿を表現する
象徴的なシーンとして

ビル屋上で
目線が定まらないまま
舞っている場面

を挙げておこーっと(^.^)



それでは
おさらいはこの程度にして

構成演出の妙の点に
触れていきまーす(‘ω’)


映画国宝で

目を見張り
舌を巻いた

部面(ブメン)は


「景色」の伏線をはりつつ

最後の舞台シーンにおいて

あえて余白をつくって
観る側の自由度を確保している

ところかと(・_・)



つまりは

最後の舞台シーンの解釈補足に
正解はなく

十人十色(ジュウニントイロ)で構わない
との作り込み方をしており


注)この場面で生じる
観る側相互の「一考(イッコウ)」の違い(程度)は

優劣というよりも
個性特性と理解してます


自分的には

構成演出の妙
と高い評価でーす
( ^ω^ )



当記事では

かなーり
観点を絞って触れるものの


結果として
その選択は正当でした
(・ω・)



だーって

考察に値する点を網羅(モウラ)し出すと
多岐にわたってしまい

とんでもない分量になるし
焦点もボケボケになりそう
ですから(^o^)



なにはともあれ

一筋縄ではいかない
噛(カ)み応え十分な
奥深ーい映画作品に仕上がってる

との認識です(*´ω`*)


幻聴のひと声


ところで

蒸し返すようで
恐縮しながら


どっからみても
いかに考えても

前出の「悪魔との取引」シーンでは

神への願掛け・誓願とするのが
自然で無難な展開だったかと


たとえ
参拝以外での場面設定を試(ココロ)みても

結局
悪魔が登場してしまい

以後
悪魔との取引が喜久雄に影響する限り

最終シーンでの
過去の浄化及び自身の昇華との両立が
課題として残るので(+o+)



少なくとも
宗教(信仰)心を抱くヒト

特に海外勢の中で
みるヒトがみれば

スルー(黙認)されるコトは
まず無いはず(-_-)


注)一神教的思想(ゴッドとサタンの対立軸が明確)
をベースとする
世界の主流ないし良識派から

本映画の悪魔との取引シーンを捉えて

多神教の日本では
悪魔であっても神々の一種なんですネ


などと
ブラックユーモア(皮肉)が飛んできそう(・.・;)



イイですかぁ

足を引っ張るつもりなんか
毛頭ありませんからネ



むしろ

海外に打って出て

日本発の伝統芸能の奥深さを
宣揚(センヨウ)してほしい

と切望するくらいなので(・_・)



「アリの一穴(イッケツ)」のごとく

致命傷にならないよう
願うばかりです(。-_-。)




(あのさ

「キレイな景色」をダークな悪魔と
関連づける点に抵抗感が強い
ヒトもいれば

そこまでの違和感を抱かない
ヒトだってフツーにいるし


理詰めでみたって

「キレイな景色」を
触媒(ショクバイ)として

瞬時に
化学反応が起こった


つまーり

懺悔(ザンゲ)に達し
この心境が心象風景を形成して

浄化・昇華作用を発効させた

との仮説(見立て)だって
ぜーんぜん奇妙ではないよ


それにさぁ

相(アイ)矛盾してない?(-“-))



エッ
どういうコト?



(最終シーンではあえて余白をつくって
観る側の自由度を確保する狙い
と製作陣に理解賛辞を示すほか

押しつけるつもりはサラサラないと断って
受け手にも配意しておきながら


真綿(マワタ)で首を締める
かのように

ジリジリ・ジワジワと
独見を押しつける「圧」を
感じるんだけど(-“-))



注)混同するといけないので
触れておきます

内なる声(ココロのアピール)を
キャラクター化したのが
「幻聴クン」で

先に登場した
生成AIの「相棒クン」とは別モノです



うぉーッと

鶴(ツル)ならぬ
幻聴のひと声?


見事な

グーの音も出ないくらい
ナットクし

ハラに落ちました(・・;)



本映画を観終わった直後に
カタ透かしを食らい

当記事を書き終える間際に
うっちゃりを食らう

とは(;´・ω・)



変わり身の速さを身上とするため

後腐(クサ)れなく
切り替えまーす(*’ω’*)


御加護アーレ!

当記事を書き終えて

すぐにリリースするか
しばらく下書きに保存するか

迷ってました(..)



白状すれば

本映画の勢いを削(ソ)いで
足カセにならないか

懸念されたからです(-_-)


手直しを重ねるうち

思いもかけず
「うっちゃり」を食らい
(突然の「ひと声」降臨(コウリン)で)

土俵を割った(白旗を揚げた)
コトにより

独(毒?)見の呪縛(ジュバク)から
解放されたかのように

モヤモヤが晴れた
らしいです( ^ω^ )


注)もちろんネット上の記事で
最終的な興収額(158億円)を確認できた点も
看過(カンカ)できませんが……

なーお

都内や地方各地では
まだ上映中の映画館があったりするため

あくまで
上記興収額は暫定(ザンテイ)的な位置づけ
です(´-ω-`)


注)続報

10月13日時点で
興収162億円

同月26日で
166億円突破!

もしかして
ギリあるかも……


注)続×2報

公開から158日経った
11月10日現在

観客動員1207万人
興収170億円を突破

邦画実写歴代1位を超えるのも
秒読み段階?


注)続×3報

配給元である東宝の公式SNS上

11月24日時点で
興収173億7739万余円

22年ぶりに記録更新
邦画実写歴代1位

と発表されました


注)続×4報

12月31日現在

興収184.7億円
観客動員数1209.8万人を突破

と発表されてまーす(^-^)


恥(ハジ)さらしのつもりで
ウラ話をしちゃおーかな(^^;)

先ほど
「降臨」のワードをチョイスしてますけど

「ひと声」の中身(着想)って

偶然に天下(アマクダ)った
感じなんです(-.-)



簡単な因数分解をしてみるに

「景色」と「浄化・昇華」の間を
どう関連づけて説明しようか

オツムを絞ってると


ふと「触媒」とひらめいたため

触媒(物質)の促進目標となる
「化学反応」を連想するに至り


意識下(深層部)で生じた懺悔(心境)が
「キレイな景色」として投影される
との化学反応を起こす

がごとき構成を組む
と同時に


注)念のため補足しておくと

「キレイな景色」に出会って懺悔に至る
のではなく

懺悔が先行し
その投影が「キレイな景色」となります(‘;’)



化学反応に合わせるカタチで
「浄化作用」「昇華作用」と
表現ぶりを整えた

以上が思考のてん末(・_・)



最後に
もう一つだけ(^_-)


じつーは

土壇場でうっちゃられて土俵を割るまで
思い至らなかった点があります


上記構成(化学反応の視点)を記してから
後出しジャンケンのごとく語るのって

と承知の上ですけーど


奇をてらうような
小手先の構成を駆使しなくとも

十分
説明がつくのです
(・_・;)



内幕(ウチマク)を明かせば


化学反応の視点で書き切った後

一緒に映画館に行った妻に
草稿データを読んでもらったところ

こちらの期待とは裏腹に
反応がイマイチ(+o+)



すこぶる気落ちする中

めげずに
思考を巡(メグ)らせ

瀕死同然のところで
息を吹き返した内容は次のとおり(‘;’)



喜久雄は神を見切ったはずなのに

神様のほうは喜久雄を切り捨ててない
というか

当人の「運」が消え失せてなかった……


注)わざわざ
神様の面前で行った
悪魔との取引も

その限度で
意義があった

と再評価(・o・)



いい直せば

喜久雄において

芸を極めて第一人者となるため
悪魔に取り入(イ)った

(つもりだった)ものの

実父が遺(ノコ)し
万菊が刻んでくれた「景色」が


あたかも

魔除(マヨ)け

のように働いて
悪魔の影響力を最小限に抑(オサ)え


最終的に

「景色」への求道心が魔力に勝(マサ)り
懺悔に繋がる


というモノ(*’ω’*)



エ~ッと

それから
ですネ

懺悔に至った構成要素って
分かります?

モチ
さっきの求道心がそう


あとは?

よーく
出来たシナリオだなぁ
と思ったんですけど


不具(フグ)になった俊介に代わって
跡目(アトメ)である長男に対し

喜久雄が稽古(ケイコ)をつける
場面があったじゃないですか


おそらく
その後も

亡き俊介に成り代わり
しょく罪の衣(コロモ)をまとって
後継者への手ほどきに打ち込んだ

にちがいないのです


コレって

俊介との友情の絆(キズナ)を
日々なぞるように確認する
とともに

養父半二郎への恩返し(血筋の継承)
にも繋がりますから


つまーり

任侠の出自らしく
「筋」を通してるってコト(^.^)


まとめれば

懺悔に至る構成要素は

でした(^-^)


注)もうひと押し
うがってみれば

遺伝の糖尿病による俊介の早逝(ソウセイ)を
所与のモノ(必然)とみた上

もともと
喜久雄って

長男への指導育成を託(タク)された
無自覚のエージェント(〇の使い)
だったのかも……


ここに至って

喜久雄に対するイメージが

当初の「なーんかイヤなヤツ」から
ガラッと好漢(コウカン)に

変わってまーす(#^.^#)



それでは

話題を本筋に戻した上で


注)気づきました?

韻(イン)を踏んでる点を
「筋」で(^_-)

ついつい悪いクセ(遊び心)が
出ちゃって……



素直に
自白(ジハク)します


神仏を見切って
悪魔と取引に及ぶような輩(ヤカラ)は
カヤ(加護)の外


と決め打ちしていたけれど
そうじゃないんですネ



神仏の懐(フトコロ)って

凡人(ボンジン)が思ってる
以上に

と自身の浅はかさに気づけて
超ラッキー(#^.^#)




紆余(ウヨ)曲折する中

酷使続きの思考回路が
アップアップのパンク寸前
だったとはいえ

余力をかき集めて充電し
再起動するなどした末

以下のとおり
気持ちの整理ができた
ようです(^^)


神仏は

途中
悪魔とタッグを組むといった
破廉恥(ハレンチ)なパーソンであっても

分け隔(ヘダ)てなく

改心(カイシン)次第で

見捨てたりしない



コレまでの労作業がぜーんぶ
吹っ飛んでしまいそうな

になっちゃってます(;´・ω・)



徒労と悲哀をまとう
凡庸民(ボンヨウタミ)に

どうか



補記

以上みてきたように
曲がり
くねり
しながらも

なんとか無事
リリースに舵(カジ)を切れた
みたい(・ω・)


注)「うっちゃり」と「ワイフの反応」のおかげで
「当面のリリース凍結」の様相(ヨウソウ)が
一変(イッペン)しました(・o・)




7月投稿のミスター追悼(ツイトウ)記事
に続いて

コレと首位を争うほどのゴボウ抜き
なってます

(●^o^●)



注)おーっとっとぉ
危ないあぶない

忘れるところでした


本映画の感想記事において
当記事を参考とするのは問題ないですけど

ネタ元関連で
当記事が注目されたりするのは
不本意なので

ネタ元の秘匿(ヒトク)を希望
というコトで(‘ω’)



それとぉ

あっという間に読んでくれた
と見做(ミナ)し

「ビミョーかも」のごとき読後感は
褒(ホ)めコトバと受けとめる

つもーり( ^)o(^ )


投稿後感

一転(うっちゃり)
二転(どんでん返し)



その際の心境を振り返ってみると

あたかも

一心(イッシン)に
足元を掘り続けたら

立ち位置(地表)の反対(地球の裏)側
に出てしまい


思わず
見上げたところ

大空が眼前に広がっており


この景色って

掘り始めた際と
そんなに変わってない……

みたいな感慨(*‘ω‘ *)



それもそのはず

だって

天空(真理)は
不変ですから( ^ω^ )


追記

皆さーん
気づきましたかぁ


既出感想記事の所々で
ひょっこり登場しつつ

その意味合い(肉付け)が
シレっと保留されたままの
「ワード」を( ^ω^ )


おォーっと
そのとおり!

「運」です



紙媒体では味わえない
電子文書の強みを

ふんだんに利用しよう
としない手はありません

事後的に
自在の仕掛けが可能
ですから(´ω`)



それでは
前置きはこの程度にして

「運」の話に戻しますけど
運命ってコトバあるでしょ



砕(クダ)いていえば

天から命じられ
当人を物語るモノ

と意味づけておきます



コレに依拠(イキョ)すると

って
当人を物語るに値するモノ

とのいい換えが可能



さーてと

いよいよ
佳境(カキョウ)を迎えました


喜久雄に宿った運とは

天命に従い
喜久雄を物語るに値するモノ

であり

国宝全編を通じ
具体的に「値するモノ」をいい当てる
コトになります



この当てはめの作業は
皆さんそれぞれで行ってください

おのおのの「解」で
十分だからです(・o・)


注)もしや

結局
「保留」が解除されてない
じゃーん


と謗(ソシ)られ……そう



あとあと

誤解があってもいけないので
いい添えておきます


当人を物語るに値するか
どうかの点って

仰々(ギョウギョウ)しく捉える
に及びません


つまりは

外部外界への影響力の大小濃淡に
拘泥(コウデイ)しなくてイイ

というコト(*’ω’*)


当人に固有の
属人的なモノ
(無二無三)


なんで(#^.^#)




※ホーム画面にもどる!

投稿者: toshi0227(トシ・オウ・トウ・トウ・セブン)

都内マイホーム、妻子持ち、シニア層男性。O型・サソリ座。モットー「いまが一番!ここが一番!」。スローガン「時空を超えろ!」。趣味はテニス・ゴルフ・油絵等。定年退職後に、社会との接点を確保して認知機能の低下を防ぎ、健康長寿を目指すべく、遅きに失した感はあるものの、平成3年元日から、思い切って「ユル・ヤワ」に「T.H.BLOG」を始めてみました。大海原を航海中ですが、よろしくお願いします。 ブログの公開表示名「toshi0227」は「トシ・オウ・トウ・トウ・セブン」と読みまーす(^^) スタエフ(音声配信)・エックス・インスタ・スレッズもやってます(^<^)

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