寄り道
本人:職場先輩
相手:同後輩
本人:たまには
鍋料理もいいですネ
相手:特に長ねぎが甘くて
絶品でした
また明日からがんばるぞぉ
本人:コレまでの疲れをねぎらえた
ようで
何よりです
この勢いで
お店と交渉して
代金も切(ねぎ)って
もらおうかな
都内某区公園での話題
けっこう前ですけど
都内の某区公園に
「区内の公園で食用その他の目的でセミ等を大量捕獲するのはおやめください」
という看板が掲示され
話題になりました
某テレビ局が
当区役所に
問い合わせたところ
食用のため
大量にセミをとっている
という苦情があったため
看板を取り付けた
とのコト
当区は条例で
公園の生きモノに対し
捕獲したり殺すコトを禁止してますが
実際に
セミを捕獲して食べたヒトが
いるかどうかは
未確認とのコト……
昆虫食ブーム
穀物の収穫(秋)前に
本懐を遂げた
セミのムクロが大量に出るほか
鳴き声から
その居場所も分かりやすい
などを
勘案(かんあん)すると
もしかして
古(いにしえ)の時代より
セミを食用にしていたのかも
と勘ぐってしまいます
(。-_-。)
というコトで
早速
調べてみると
ピンポーン!!
中国や東南アジアには
元々
昆虫食
の文化があった
のです(‘ω’)
ここ数年来
日本でも
高たんぱく・低脂肪で
カラダに良い
として
昆虫(セミを含む)食が
ちょっとした
ブーム
のようです(‘;’)
ところで
昆虫料理研究家の話を踏まえ
セミを題材にして
具体的に
触れてみます
==========
セミは
天ぷらや素揚げがオススメ!
とはいえ
セミごと
微妙に
違いがあるので
具体的にみていくと
「チー」と鳴く
ニイニイゼミは
食材らしい香りで
殻が気にならず
食べやすい
「ジージリジリ」と鳴く
アブラゼミは
うまみが濃く
赤身肉の味に近い
「ミーンミンミン」と鳴く
ミンミンゼミは
あっさりしており
個性がない
「シャーシャー」と鳴く
クマゼミは
大きくて食感が固く
苦みがある
もっとも
いずれの
セミであっても
寄生虫対策等の
下準備(加熱処理)が必要
==========
たーだ
甲殻類アレルギーを有する
ようなヒトは
遠慮したほうがよさそうです
なーお
「閑かさや
岩にしみ入る蝉の声」
という
有名な松尾芭蕉の句で扱った
セミは
ニイニイゼミ
らしいですよ!
自然界の
掟・知恵
自然界の掟(おきて)は
弱肉強食
といわれてます
確かに
強者(きょうしゃ)は
その命の糸を
弱者の命を取り込むコトで
紡(つむ)いできました
ただたーだ
もう少し
突っ込みを入れると
力の強いモノが勝ち残った
というよりも
環境に「適したモノ」が生き残って
きており
その意味で
「適者生存」
との言い回しもありますけど
ここでは
コレ以上
立ち入りません
( ˘ω˘ )
弱小の生きモノは
自然界の掟を受け入れるべく
一定の生贄(いけにえ)
人身御供(ひとみごくう)
を代償にして
自然界との
調和をはかりつつ
しぶとく
「種の保存」
を継続してきたのです
つまーり
自然界において
弱小の種が生き残るには
一定の代償を払うコトを避けて
通れません”(-“”-)”
弱小側からみれば
他の異種と
共存・共生を模索するための
スキル
であって
いわば
必要経費
といえます
注)同種の生物同士は
同じ環境下での
共存共栄は無理ゲーとなります
(ガウゼの法則)
自然界に君臨する
ヒトが
食材として
昆虫を捕獲した
としても
その振る舞いを自己本位で理不尽だ
とみなし
感情論で
非難するのは
当を得ているとは
いえないのです(-.-)
既出のセミの場合
でいえば
繁殖活動を終えて
命を使い切った
セミは
今世(こんせ)に
何の未練もない
のですから
自然界の知恵である
「リサイクル
(再生利用)」
にその身をゆだねるコトも
不合理とは
いえないでしょう
とはいうものの
個人的には
ターゲットを
繁殖活動後の成虫に絞って
捕獲するのは
ぜーんぜん
「アリ」だとして
せめて
幼虫には
手を出さない
食指(しょくし)を
動かさない
コトを素朴に願ってます
(`・ω・´)
孤立は愚策
個体でみると
「弱者」にすぎなかった
ヒトが
集団(チーム)で
行動するコトにより
「強者」へと
登り詰めました
ホモ・サピエンスの
生存戦略
ですネ
もともと
ヒト(人間)は
「ヒトの間」に
身を置かないと
生き延びられないように
仕組まれてきたワケですから
完全な孤立化の選択は
理(ことわり)
に反しており
愚の骨頂(こっちょう)
と心得てます
( ˘ω˘ )
どんなに人間関係を
整理し絞ったとしても
生命線である
家族ないし身内は
大切にするつもりです
(´-ω-`)
追記1
ヒエラルキー
昨夏(令和3年8月頃)に
一旦
当記事の下書きを終えたものの
「余談」も
ままならないまま
日の目をみるのは
いつだろうか
と思いつつ
投稿の機会を逸していました
後記関連記事を
先行して投稿した手前
あからさまに
昆虫食っていうのも
なーんか
ココロにひっかかるモノがあった
からです(..)
でもでも
やーっと
次のとおり
アタマの整理がつきました
生きとし生けるモノ
において
生まれながらに
「平等」というのは
幻想にすぎず
知的生命体を中心に
厳然と
ヒエラルキー(階層)
が存在します
一方
途方もない確率の中で
ヒトに生まれ変わるコトを
手に入れたのだから
それ自体がとーっても
厳粛で尊いモノなのは
多言を要しません
この尊厳性のありがた味を
しっかり
受けとめないと
もったいなーい!
と自戒する
この頃(令和4年7月七夕)
でーす
( ^)o(^ )
あーっ!
すみません(._.)
幕を引く前に
せっかくの七夕(たなばた)なので
ココロの短冊(たんざく)に
願いを込めさせてください(^<^)
「素(す)」「地(じ)」
の良好な青少年には
「公平」に
門戸(もんこ)を開き
チャンスを与える
社会で
アーーレ!
(●^o^●)
関連記事
【生活・よもやま話】自宅玄関前で見かけた「セミさん」へのレクイエム(鎮魂歌)です
追記2
歓喜の泉
注)当記事は
当ブログ・ホーム画面上「掲示板」
更新日:R6/7/14の記事を転載したものです
前に触れたとおり
記事の冒頭(タイトルの下)に
貼り付ける画像を
アイキャッチ画像に入れ替えてます
たーだ
気分にまかせて
やってるためか
遅々(ちち)として
作業が進んでいません
(#^.^#)
でもでも
思いがけない発見がありました
(・ω・)
ちょっとずつであっても
当ブログがブラッシュアップされてる
との実感が得られる
のです(^^)
この実感の中身を
具体的に説明するのって
意外に
簡単じゃないんですけど
歓喜の泉(湧き水)が
じわーっと
にじみ出てくる
ような感覚(‘;’)
更に補足すれば
最近になって
確信に変わりつつ
あるところ
喜びに満ち溢(あふ)れ
幸せな気分に浸(ひた)れる
場面って
手塩にかけた自身の記事を
読み直したり
リライトしてるとき
なんです(-.-)
テキスト猛者の皆さん
に対してなので
本音ベースで語っています
もちろん
依拠する戦略戦術
時期的段階的な優先事項
といった事情もある
でしょうけど
相応の期間が経過した
にもかかわらず
上記心境(実感)に至らない
としたら
人生を堪能満喫(たんのうまんきつ)する
に当たって
やーっぱ
大損だと思うんですよネ
(・_・)
注)「ひまわり」や「夜のカフェテラス」
の絵画で有名な天才画家ゴッホ
その生前中
売れた絵画はたったの1枚だけ(+o+)
ただネ
狂気性を纏(まと)っていた
とはいえ
油絵に向き合ってるときの
ゴッホって
きっと
喜々(きき)としていたんだろうなぁ
そんなゴッホの生きざまには
ベートーヴェンの「歓喜の歌」が
ピッタリかも(‘;’)
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